大井川通信

大井川あたりの事ども

『重版未定』 川崎昌平 2016

『労働者のための漫画の描き方教室』が、とても面白かったものだから、同じ作者の「本業」の漫画の本を読んでみた。『描き方教室』の方で、著者の実際の生活や思想を知っていたので、いっそう楽しく読めたと思う。背景のない単純な絵柄は同様だが、漫画として十分面白かった。

著者は、弱小出版社の編集者の仕事を、専門用語や独特のルールを詳細に解説しながら、ユーモアたっぷりに描いている、かに見える。しかし、『描き方教室』を読むと、この一見ほのぼのとした漫画が、厳しい職業生活を何とか生き抜くための、必死の表現でもあったことを知ることができる。

どんな仕事でもその世界の独特のルールやジャーゴンがあるものだ。僕も、自分の仕事が本当にきつかったときに、自分なりにジャーゴンの解説集みたいなものを作りかけたことがあった。その時は密室で呼吸がしやすくなったみたいな気持ちがした。それが完成しなかったのは、結局、仕事に対する愛情が不足していたからのような気がする。大きな組織のプロセスのほんの一部をになう仕事だったから、著者のようには、多くの無茶や非合理を嗤いながらも、仕事の理想や目的を思い返す、というわけにはいかなかったのだ。

僕は子どもの頃から、多くの時間を本をめぐって費やしてきた。読書というのとはちょっと違う。大学時代も、古本屋街で過ごす時間が長かった。本にかかわる仕事をしようと思いつきもしなかったのは、自分でも不思議に思う。図書館員、書店員、古本屋の主人、編集者。長く生きている中で、自然とそうした職業の人たちと知り合いや友人となる機会があったが、仕事について根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。この本は、完成品として書店に並ぶ姿しかしらない本の製造工程を事細かに教えてくれて、実にありがたかった。

教員は、子どもの成長を助けるという、純粋に他者への贈与を仕事にしている。彼らと話をすると、理想論がまぶしく感じられるときがある。一冊の本を生み出す編集者の仕事も、教員とどこか似ているところがあるのかもしれない。『描き方教室』におけるピュアな理想論も、編集者の仕事に根を持っているのではないかと気づいた。

主人公の編集員が、編集長から、こんな言葉で諭される場面がある。会社のためでも読者のためでなく、本のための本を編め、と。