大井川通信

大井川あたりの事ども

思いやる力

次男は、言葉を身に付けるのが遅く、軽度の知的障がいがある、ことになっている。しかし、相手の気持ちをおしはかって、相手のために行動する力は、とてもつよく、ふかい。

子どものころ、なじみの駄菓子屋が閉店した時に、おばさんに自分から感謝の手紙を渡してきたり、修学旅行では、家族のそれぞれによく選び抜いたお土産をかってきたり。しかし、それらは、小学校の高学年になってから身につけたものと思っていた。

次男は小学校の1年生くらいまで、言葉がうまくあやつれなかった。実際、彼に聞いても、その頃までの記憶はない。十分な精神活動は、言葉なしには成り立たないのだろうと思っていたのだ。

最近昔のノートをめくったら、小学校2年生の次男が、学校の図書室から、自分の好きなダンゴムシの絵本といっしょに、父親のためにゲンゴロウの絵本を借りてくれた、というメモを見つけて驚いた。僕が田んぼで、さかんにゲンゴロウを探したり、水槽で飼ったりしていた頃だ。

父親が何が好きかという知識の瞬時の運用。好きなものの絵本は、自分が読みたいように、父親も読みたいだろうという判断。他者を喜ばせたいという気持ち。その目的のために、借りたり運んだりという労力をいとわない実行力。

大人でも全過程の遂行が困難であるような、とても複雑なプロセスを踏んでいる。

障がいをもった次男は、しかしかえってそのために、たくさんの人たちのかかわりや愛情の恩恵を受けることができた。他者の気持ちを思いやる能力は、きっと言葉を話す能力と同じくらい、人として基本にあるものなのだろう。