大井川通信

大井川あたりの事ども

人は揺り籠から墓場まで、束の間の人生を愚かに過ごして命を終える

サマセット・モームの『英国諜報員アシャンデン』(1928)から。

モームの小説は面白い。モームの描く人物は、どれも魅力的だ。大衆的でわかりやすく、極端だったりするのだけれども、人間というものの根底を押さえているから、命を吹き込まれているかのようなリアリティがある。それを支えているのが、モームのとびきりシニカルな視線だろう。

今、英文に訳された浄土真宗の本を毎日少しずつ読んでいる。日本語のあいまいさを振り払った訳本はシンプルで核心を突くが、それゆえに弱点も明らかになる。人間は、無知だ、愚かだ、のオンパレード。しかしその本質は、とても抽象的な無知であり愚かさなのだ。だから信仰により、たやすく無知が法や真理へと反転してしまう。無知なり愚かなりのままで、それを抽象的に救い取るような仕掛けが張り巡らされているのだ。

モームが描く人間の愚かさは、抽象的に否定したり、それを反転させたりすることのできない、具体的な愚かさそのものだ。愚か、と突き放して、それ以上どうすることもできない愚かさ。人間の存在可能性としての、存在条件としての愚かさ、とでもいおうか。読み手が、身につまされて、立ちすくまざるをえない愚かさ、である。

そこから一気に立ち去る、ということではなく、その愚かさ一つ一つの手触りを確かめ、抱きとめ、なぐさめ、ともにあることを否応なく選び取る。モームの軽快な語りの根底には、そんな覚悟があるような気がするのだ。