大井川通信

大井川あたりの事ども

ひとつのネタを何度も使ってはいけない

サマセット・モームの『英国諜報員アシャンデン』(1928)から。

主人公のアシャンデンは、こう続ける。「ジョークは長居せずに気まぐれに、いってみれば、花をめぐるミツバチのようでなくてはならない。一発決めたら、すぐに離れて次に移る。もちろん、花に近づくときにかすかな羽音を立てるのはかまわない。鈍い連中に、これからジョークをかましますよと注意を喚起するのはいいことだ」

しかし、たいていの人は、一度受けたのをいいことに、同じネタを何度も続けて使ってしまう。それがプロと違うところだと、アシャンデンはいう。

英国紳士の高度な会話術には及ぶべくもないが、日常の笑いにこだわる者として、十分に参考になるところだ。オヤジギャグとののしられるのは、ネタの使いまわしと、ミツバチの軽やかさをもたないことが原因だろう。

しかし、たとえオリジナルのジョークであっても、気恥ずかしさからなのか、真顔のまま、まるで唐突に口にしてしまって、受けるどころか周囲を戸惑わせてしまうオヤジもいる。正直にいおう。僕がまさにそのパターンだ。

「花に近づくときにかすかな羽音を立てよ」というアドバイスは、名人上手ならではの絶品の比喩。脱帽するしかない。