大井川通信

大井川あたりの事ども

輪島の訃報

大相撲の元横綱輪島(1948-2018)が亡くなった。記録を見ると、初土俵から3年半で横綱に昇進したのが1973年で、引退が1981年。ちょうど僕の中学、高校の頃が全盛期で、家族の影響もあって、相撲を一番見ていた時代だと思う。

父親はしぶい取組の大関旭国が好きで、母と姉は二度も大関から陥落しても相撲を取り続けた魁傑をひいきにしていた。二人とも1979年に引退しているので、輪島と同じ時代の力士だ。ふりかえれば、家族四人でにぎやかにテレビを囲んだのは、その頃までだったような気がする。

僕は、輪島が好きだった。初の学生出身の横綱で、しこ名も本名。金色のまわしを締めて、私生活は派手で豪遊という異色の力士だったようだが、子ども心にも、どこかモダンでかっこいい力士に見えていたのだろう。

ちょうどその頃、若手の北の湖(1953-2015)が台頭してきて、身体も大きくて憎らしいほど強かった。千秋楽で輪島との対決が注目を集めたが、輪島は次第に北の湖に勝てなくなっていく。長い相撲の末に、力負けして寄り切られるのが、輪島の負けパターンだった。

当時の北の湖戦では、テレビの前で、輪島と同じように仕切りのマネゴトをして、同じように立ち合いをして、文字通り「独り相撲」を取っていた記憶がある。勝負を観戦していて思わず身体に力が入るというが、その時は、意識的に同じ動作に力を込めることで、本気で輪島の身体に力を送り込もうとしていたのだ。

そんな経験から、スポーツ好きとは言えない僕でも、スポーツ観戦の熱狂の根底には、集合的な身体の連結や一体化が潜んでいる、ということは理解できる。