大井川通信

大井川あたりの事ども

いじめっ子と妻(その3)

次男は、二歳を過ぎても言葉が出なくて、幼稚園に入っても、園ではいつもお世話をしてくれる専任の先生の膝の上にチョコンと座っていた。小学校に入学後もしばらくは、クレヨンしんちゃんなどの好きなアニメのセリフを好き勝手にくりかえすことが多くて、友だちとの会話は難しかったと思う。

今の学校には、特別支援学級に在籍する子どもたちも、普通学級の子どもに交じって授業を受ける「交流学級」という仕組みがある。しかし、身体的なものとは違って、知的な「障害」は、子どもには理解が難しいものだろう。いくら仲良くしようと教えられても、残念ながら、実際にはガイジ等の差別的な呼び名がはびこっている。

小学校5年生の頃だったろうか。次男もそんな周囲の冷たい視線や反応に気づくようになって、家でも悩みを口にするようになった。そんなとき、担任の先生から普通学級の子どもたちに母親から直接話をしたらどうかという提案があった。

当日、妻は一時間の授業をまかされて、次男の話をしたそうだ。授業の初めに、妻が子どもたちに、「みんなは〇〇のこと変だと思っているのかな」とたずねると、何人かの子どもが正直に手をあげる。

次男が言葉を覚えるのが遅くて今でもしゃべることが苦手なこと、話しかけても耳に入っていないことも多いこと、などを話して、次男にはこんなふうに接してほしいという具体的なお願いをしたそうだ。

妻は学校の勉強は苦手だったはずだが、妙に度胸があったりする。教壇に立つと、子どもたちの真剣な目が向けられて、気持ちよかったという。後ろに校長先生たちが見に来ていたが、次男のためだから気にしなかったと笑っていた。

あとで担任の先生から、こんな話を聞いた。真面目さや正義感から、次男の言動に批判的だった女の子が、まっさきに次男を手助けするようになったそうだ。

その後もいろんなことがあり、いろんな人たちに助けられて、次男は地元の中学を卒業した。(妻は次男のことで中学のクラスあてに手紙を書いたりもした)

卒業後、次男は特別支援学校の高等部に進学して、寮生活を始める。寮からの初めての帰宅日、次男といっしょに駅からの道を歩いていると、新しい制服に身を包んだ女子高生たちとすれちがった。そのうちの一人が、ごく自然に「わー 〇〇くん!」と声をかけてきた。次男は、ちょと照れたように手をあげていたけれども、僕にはそのやり取りがとてもうれしかった。