大井川通信

大井川あたりの事ども

『感性は感動しない』 椹木野衣 2018

以前、現代美術が専門の知人に、美術の批評家で誰が面白いかを聞いたら、椹木野衣(さわらぎのい)の名前を教えてくれた。新聞の書評を意識して読むようにすると、なるほど彼の書く文章は、平易に書かれているにもかかわらず、解像度が他の書き手とはワンランク違う印象を受ける。

この若い読者にむけて書かれたエッセイ集を読むと、そういう彼の批評文の秘密に触れることができる。批評家が、自分の発想や思考の方法、文章を書くことの内実について、ここまで正直に描いているのを読んだ記憶がない。本来は、企業秘密に類することだろう。著者の文章が持つ「突き抜けた感じ」も、こんな開かれたスタンスに由来しているかもしれない。

ほそぼそと自分の考えを書きついでいこうとしている人間に対して、この本は、半分は自信を打ち砕き、半分はそれを励ましてくれるようなところがある。

自信を打ち砕くというのは、美術を観ることや本を読むこと、文章を書くことの奥深さや恐ろしさを教えてくれるから。僕がそこに届くことはないだろう。

励ましてくれるというのは、三つ目の章「批評の根となる記憶と生活」の内容である。「自分の生まれ育った、決して変えることのできない風景や記憶というのをないがしろにしては、どんなに抽象的で思弁的なことを書こうとしてもうまくいかない」という指摘だ。少なくともこの点だけは、僕と同世代のすぐれた批評家の言葉に、実感としてうなずくことができた。