大井川通信

大井川あたりの事ども

三億円事件から50年(事件の現場7)

三億円事件発生から、今日でちょうど50年だそうだ。

僕はずっと以前から、事件現場に足を向ける趣味があって、オウム事件の時は、上九一色村サティアンを見にいったりした。実は今回の東京出張でも、五つの美術館とともに二つの事件現場をはしごした。何気なくそんな話をすると、たいていの人はあきれて理解できないという顔をする。その原点は、もしかしたら三億円事件にあるのかもしれない。

当時僕は小学校一年生。現金輸送車が奪われた府中刑務所前の現場は、実家から数キロメートルしか離れていない。輸送車が乗り捨てられた国分寺跡は、さらに自宅に近く、親にもよく連れて行ってもらった場所だった。そんな身近な所が、連日の報道で大きなニュースとなって取り上げられたのだ。さらに何年にもわたって、全国の人々の目が注がれることになる。事件現場に実際に足を運んでそれを身近に感じたいという僕の奇妙な欲望に、なんらかの影響を与えたのは間違いない。

「投げうてば瓦も悲し秋の声」

江戸時代の俳人大島寥太(1718-1787)が国分寺跡で詠んだ句を父親から教えられたときには、まだ瓦のカケラが落ちていそうな草ぼうぼうの史跡だったが、今ではすっかり整備された公園となっている。