大井川通信

大井川あたりの事ども

「宗像SCAN」(主催M.M.S.T.)を観る

日本と韓国の演出家と役者を地元に滞在させて、地域を題材にした演劇作品を制作上演してもらう、という企画を観ることができた。こんな企画が自分のフィールド内で行われること自体おどろきで、ありがたい。

もちろん規模や内容において制約や限界があるのは仕方がない。おそらく日韓の若手の演出家が地元を案内されたのは1日で、役者が参加しての制作期間は3日程度。制作の前に、演出家と地元の人間を交えたトークイベントがあり、最終日に上演と専門家を交えたアフタートークがあった。韓国の役者は5名くらいいたが、日本側はアクシデントで1名だけだったようだ。会場もふだん美術展示に使うホールで、稽古場にパイプ椅子を並べて観劇するような感じだった。気づいた点をメモしたい。

よく韓国との演劇の交流の話は聞くが、実際にそういう舞台を観るのは初めてだった。外見は変わらないながら、別の言語と文化を内蔵する異国の役者には、日本の役者にはない奥行きが感じられる。間近で役者が話す韓国語の響きも美しい。日本の演出家が、こういう舞台の演出に魅力を感じるのはわかる気がした。

初日や最終日のトークで、韓国の若い女性の演出家は、通訳や不自由な日本語を通して、積極的に自分の問題意識を話しているのがよくわかった。この点で、一般的に日本の若手演劇人よりずいぶん成熟している印象を受けた。

日本側の演出家は、事前にインターネットで情報収集したことを明かし、その情報と日本の古典をもとに演出するプランを事前に作ってきたようだった。滞在期間を考えれば、当然の対応かもしれない。しかし、ネット情報に無批判な姿勢が少し気になった。

一方、韓国の演出家は、事前にプランを作らずに、現地での実際の滞在の経験から制作しようとしたという。役者との話し合いもしたらしい。彼女は、僕の住む市が、海側の自然や歴史が集まっている地域と、ニュータウンが広がる地域とに分かれていることが気になったようで、事前のトークセッションでもしきりにそのことを話している。

このため彼女の作品では、人と自然との悠久の関係を感じさせる重厚な前半部と、人間同志の確執や争いを描く後半部に分かれ、最後には、女神から参加者に海辺の砂を詰めた小瓶が渡され、参加者全員が輪になるという演出がほどこされていた。自然の側から、ニュータウンに住む疲弊した人々への慰労を意図したのだという。

この演出家の直観には僕は驚かされた。この地域のありようの本質を的確にとらえていたからだ。この街はベッドタウンではあるが都市部との距離がある。離職等で都市部との関係が切れたニュータウンの住民が地域に目を向ける時に感じるのは、旧集落の歴史や文化や自然との乖離だろう。

僕自身のささやかな取り組みも、言ってみれば、この乖離を具体的に歩き回ることで埋め合わせ、むしろ新たな価値を生み出そうというものだ。数日の滞在で、韓国の演出家がその点を見抜き、両者の和解の物語を紡ごうとしたことには舌をまく。あらためて演劇の力を感じさせられた夜だった。