大井川通信

大井川あたりの事ども

筑豊富士再訪

免許の更新で筑豊の運転免許試験場に出かける。筑豊の象徴ともいえる三連のボタ山(別名筑豊富士)のすぐ近くだ。講習の待ち時間が一時間ばかりあるので、気ままに歩くことにした。

遠目には見てきたが、実際にふもとを歩くのは、初訪以来10年ぶりくらいになる。当時、夢中になって、遠方の炭鉱跡を見て回っていた。ある時から、もっと身の回りに目を向けようと考えて、そういうことをしなくなったのだ。

まず、亀屋延永本店で、羊羹の黒ダイヤと白ダイヤを買う。筑豊で採れる石炭と石灰をモチーフにした銘菓だ。かつての労働者の街では、お菓子の名店が多い。

ボタ山のふもとをめぐる小道に入ると、住宅街の中にレンガ積みの赤茶色い遺構が見えてくる。斜坑でトロッコを上げ下げするワイヤーを巻き上げる機械を据えた台座だ。頑丈に作ってあるから、閉山で坑口が埋め戻されたあとでも残されているケースが多い。新しいものではコンクリート製になる。掘り出された石炭は、選炭機で分別されて、不要なボタが捨てられて、高さ100メートルを超えるボタ山となったのだ。

ボタ山はすでに緑の木々におおわれていて、ふつうの小山と変わらない。注意深く見ると、斜めに伸びる稜線が定規を当てたような直線であることに気づく。このあたりの家々の石垣には、黒っぽく不揃いなボタ石が積み上げられているのが、荒々しい独特の印象を与える。

ボタ山を少し登った所には、見晴らしのいい公園があって、住友忠隈炭鉱跡を示す石碑が建てられている。犬を連れたご老人に道を尋ねると、親切に教えてくれる。途中でかなり年配のご婦人二人に挨拶するが、声に力のある挨拶が返ってきた。筑豊の人はやはり温かい。

ボタ山周囲を回ると、幼稚園の大きな木造校舎が見えてくる。水色に塗り直してあるが、歴史のある建物であるのはわかる。昭和14年に建てられた「炭鉱会館」という名の保養施設だそうだ。大手の炭鉱には必ずあって、炭鉱労働者たちの娯楽の場所だった。終戦直後の景気いい時代には、東京から長谷川一夫らスターがやって来たという話は、あちこちの炭鉱で聞くことができたから、ここでもきっとそうだったのだろう。