大井川通信

大井川あたりの事ども

『キッチン』 吉本ばなな 1987

読書会の課題図書。近来稀な不思議な読書体験だった。
微妙に違う方向を向いたセリフやふるまいが並ぶため、イメージがハレーションを起こし、どの登場人物も生きた人間としてリアルな像を結ばない。たとえば、祖母の死という決定的な出来事の受け取り方でも、次のAとBのように、ニュアンスの違う表現が無雑作に出現する。 A「先日、なんと祖母が死んでしまった。びっくりした・・・まるでSFだ。宇宙の闇だ」 B「私は、いつもいつでも『おばあちゃんが死ぬのが』こわかった」

 ストーリーにも厚みが感じられず、ほとんど頭に残らなかった。言葉や描写の新鮮さや巧みさでカバーしているが、ふつうの意味で小説として成立してないような気さえする。
無理やりな初期設定(愛する者にすべて死なれて、容易に他者と交われない人間同志)に、各場面では当たり前の人間に見える登場人物たちが困惑し、引きずり回されているような印象。ストーリーの展開の必然性がもたらす死ではなくて、初期設定を満たすためだけの物語の冒頭の死というのも、ちょっとどうだろうと思う。

吉本ばななをきちんと読んだのは、今回が初めてだ。だいぶ以前の作品だが、ほぼ同世代の作家の作品として、あの80年代後半の表現として、こんなものかとガッカリした。ちょっと落ちこんだ。

ふと気になって、やはり同世代の漫画家岡崎京子の手元の作品(『ジオラマボーイ★パノラマガール』1989と『リバーズ・エッジ』1994)を手に取る。物語とキャラクターの存在感とヒリヒリするくらいシャープな表現。『キッチン』にないものが、そこに変わらずにあって、安心する。