大井川通信

大井川あたりの事ども

語り部として

年末のファミレスで、友人と4時間ばかり議論をする。経験やフィールドは違っているけれども、なぜか問題意識や感覚がそっくりな友人なので、ずいぶんと頭の中が整理できた。

僕はある旧村の里山に開発された団地に転居してきた。土地とのかかわりは偶然だったけれども、この土地に起居しているという事実は、僕にとって動かし難い事実である。旧村の周りを歩き、自然を観察し、人々と知り合い、歴史を調べ、想像をふくらませる。

いまさら土地にどっぷりつかって、この土地の人間のふりをすることはできないが、土地の様々な細部や痕跡に触れて、今ここの場所から目をこらし、耳をすますことはできるだろう。遊歩者あるいは観察者として。

そうして、この土地にかつて起きた出来事について、もう僕だけしか知らないことも増えてきた。聞き書きのできたお年寄りで亡くなられた方も多い。今この土地に起きている出来事について、おそらく僕にしか気づけないこともあるような気がする。

大げさにいえば、僕が口を閉ざしたら消えてしまう何かがあるのかもしれない。だから僕は、「ヒラトモ様」について、「大井始まった山伏」について、「大井炭鉱」について、語らないといけない。それを見聞きしたものとして、いわば語り部としての責任があるのだ。

しかし砂粒のように無限で味気ない事実をすくい取り、それに多少整理を加えたくらいでは、語り部として務めは果たせないだろう。かつての語り部たちの物語にならい、虚構やフィクションを大胆に交えて、次の世代に届くような訴求力を持たせないといけない。幸い僕の前には、すでに不可思議な物語たちがうごめいている。

この小さな土地に根差した物語群、神話群を作り出すという野望は、まだ手を付け始めたばかりだ。来年こそ、ある程度の成果と方向を示したい。