大井川通信

大井川あたりの事ども

『年末の一日』と佐藤泰正先生

芥川龍之介に『年末の一日』という短編があって、この時期になると読み返したくなる。自死の前年の1926年に発表された私小説風の小品だ。

新年の文芸雑誌の原稿をどうにか仕上げてお昼近くに目覚めた芥川は、知り合いの新聞記者とともに、没後9年になる漱石の墓参りに出かける。しかし雑司が谷の墓地では、よく知っているはずの漱石の墓がなかなか見つからず、芥川はわびしい気持ちになる。記者と別れた後、坂道で休んでいる人夫に声をかけて、自分自身と戦うよう一心に胞衣(えな)会社の荷車を押し続けた。

これだけの話だけれども、ある時佐藤泰正先生(1917-2015)の話を聞いて、忘れがたい小説になった。佐藤先生は、長く山口の梅光女学院(のちに梅光学院)大学で教えられた日本近代文学研究の権威で、クリスチャンだった。

独身の頃だから、今から20年以上前だったと思う。アパートの近くの小さな教会で先生の講演があるという新聞記事を見て出かけたのだが、教会だから聖書を読む礼拝もあって戸惑ったのを覚えている。

先生はそのとき芥川の話をした。芥川は学生時代、漱石から「人間を押せ」と教えられていたにも関わらず、「文士の才」をむなしく押し続けた。『年末の一日』で漱石の墓にはぐれてしまい、胞衣(えな)という胎児を包む膜や胎盤、つまり命の抜けがらが載った荷車を押す姿には、芥川自身の自嘲と悔恨が現れているという話だったと思う。(この解釈は、後に出版された先生の芥川論で読むことができた)

この鮮やかな解釈を聞いて、文学を読み込むということの凄味を目の当たりにした気がした。当時先生はすでに70代半ばだったはずだが、若々しく情熱的だった。

その後、公開講座などで、漱石遠藤周作、現代詩について何度か講演を聞く機会があった。吉本隆明山口昌男の講演会でも、先生が主催者挨拶をされていた。振り返ってみると、法学部出身の僕には、文学に関する確信をもった言葉に触れる機会は、佐藤先生の講演以外にはなかったような気がする。

先生の訃報に接したのは数年前である。ご冥福を祈りたい。