大井川通信

大井川あたりの事ども

平知様と「知盛の最期」

平知様(ヒラトモサマ)は、大井川歩きの聖地にして原点だから、初詣を欠かすわけにはいかない。里山のふもとまで車で移動し、足をいたわりつつ標高120メートルの頂上を目指す。途中、倒れた竹を押し分けながら、前に進む。この荒れ方では、今後は参拝も難しくなるかもしれない。

イノシシが怖いので、杖で両側の竹や木を打ち鳴らしながら山道を進む。雑木林の急な斜面をよじ登ると、目当ての場所にホコラが見当たらない。やや離れた場所に見つけて、ほっとする。道のない雑木林は錯覚をひきおこしやすい。

いびつな大石を屋根に置いた野趣にとんだホコラの姿はそのままだ。大小の木の根が立てかけられた様子は、初見の人には異様だろう。周囲には大きな石が散乱していて、ここが古墳の跡であることを物語っている。この峰に沿って、いくつもの円墳の石室が露出しているのだ。

老樹が枝を伸ばしていて周囲は薄暗いが、ホコラのすぐ裏は切り崩されて急な崖になっているから、日差しが明るい。かつて村の境界に沿って、広大なミカン畑が開発されたためだ。今はその場所が、無機的な太陽光発電ソーラーパネルに置き換えられている。

新しいお酒の小瓶を献上して、新年のお参りをする。それから、文庫本の『平家物語』を取り出して、供養のために有名な平知盛の最期の場面を大声で朗読した。このホコラには、無名の豪族の墓が明治以降、平氏の武将の墓として喧伝され、戦争の時代に「平知神社」として戦勝祈願の信仰を集めた歴史があったのだ。

今でもまつられている鋭利な木の根は、戦時中、お礼参りに木剣を納めた記憶に基づくものだろう。敗戦後、平和の時代となって、史実に基づかない急造の神様は、軍国主義の遺物として山中に打ち捨てられることになった。

平家の興亡を見届けた平知盛の言葉(「見るべき程のことは見つ」)は、里山の山中から村の近代の歴史を見続けた平知様の心情を代弁したものであるようにも思えた。