大井川通信

大井川あたりの事ども

年賀状がこわい

いつの頃からか、年賀状が恐ろしくなった。誰に出すべきなのか、何を書くべきなのかがよくわからない。いや、考えればわかる程度のことだが、それを考えるのがおっくうだ。

パソコンで作成するようになってからは、作り出したら一晩で出来てしまうほど手軽になったのにもかかわらず、年末にとりかかれずに年を越すこともしばしばだった。ずいぶん前だが、帰省に間に会わず、東京で作成するために重いワープロを泣く泣く引きずって持ち帰ったこともあった。

そのかわりいったん作り出すと、妙に文面に凝ってしまい、プライベートや自説に踏み込んで、気取ったことを書いてしまう。正月そうそう、受け取る側はそんな「個性」など迷惑だろう。

広い意味での社会性の障害、例の「積極奇異」という類型の発露なのだと、今なら思う。儀礼的、習慣的な社交にうまくなじめず、逃げ出したくなる。その一方、いざその場に臨むと、積極的に目立つふるまいをしてしまう。

そんなわけで、年末が近づくとどこか憂鬱な気分になった。また、その年の正月の自分なりの評価も、年賀状の手際に左右されることになった。年末早くに出せたのか、年を越したのか、返事すらままならなかったのか。

しかし、次男を育てる中で、年賀状は、もっと実際的な役割をもつようになる。知的障害のある次男にとって、お世話になった人々のつながりはとても大切だ。学校の先生や学生ボランティアの人たちとの関係を切らさないために、写真入りの近況報告を年賀状で毎年送るようにしたのだ。本人にも一言書き込ませて。

これは、今年二十歳になる次男のために僕が父親としてやれたことで、唯一自慢できることかもしれない。多少「積極奇異」の気があろうと関係ない。これだけは地味に真面目に送り続けた。

ところで、こんな年賀状の怖さから、ついに解放される日がやってきたのだ。これからは(次男のための近況報告をのぞいて)積極的に賀状を出さない。返事が必要な分だけをあっさりと書く。そんな一大方針転換を、年が明けてから成り行きで思いついた。実際そうすると、数年でほとんど儀礼的な賀状交換は消滅してしまいそうだ。

なんだかあっけない。店じまいを意識する年齢だからできることかもしれない。しかし、長年にわたる逡巡と懊悩はいったい何だったのか、とあらためて思う。