大井川通信

大井川あたりの事ども

地蔵のある家

大井の兄弟をめぐる悲劇も、それを知る人がいなくなれば、忘れられていくだろう。やぶの中の地蔵だけが、その痕跡となるだろうが、その意味を知ろうとする人は、これからの時代にはあらわれそうにない。

かつては、そうした記憶はもっとながく受け渡されていくものだった。

大井村の東には川が流れており、それが村の境界になっている。川の対岸に一軒の家があり、玄関脇の敷地内に小さなお堂があって、中に古い地蔵がまつってある。たまたまお家の人が顔を出したので、由来を聞いてみた。(この聞き取りも、もう5年近く前のことだ)

昔大井で、お坊さんが試し切りで殺されたことがあった。その祟りで、その家では代々失明する人が続いたという。そのため、供養のためにこのお地蔵さんをまつったそうだ。大井にはほかに供養塔とお墓も作られた。しかし、やがて供養する人がいなくなったので、大井からお嫁に来ていた祖母が引き取って、自宅にお堂を作ったのだという。

今のご主人の祖母は、30年前に90歳代でなくなったそうだ。お地蔵の由来で覚えているのはこれだけだと、すまなそうに話す。

 大井のお年寄りからも、こんな話は聞いたことがない。何らかの理由で、大井では家が絶えてしまったのだろう。事情を知る最後の人が明治中期の生まれなのだから、もう地元で忘れられていても仕方ない。事件自体も江戸時代の18世紀にはさかのぼるだろう。

祟りで失明したということは、おそらくその殺されたお坊さんというのは、座頭のような盲目の人だったにちがいない。