大井川通信

大井川あたりの事ども

「『地方ならお金がなくても幸せでしょ』とか言うな!」 阿部真大 2018

副題は、『日本を蝕む「押しつけ地方論」』。タイトルの印象とは違って、きわめて明晰で冷静な記述に貫かれている。著者は上野千鶴子門下の気鋭の社会学者だ。

本書の意図や方法については、巻頭の頁からこれでもかというくらい何度もていねいに説明されているので、それを繰り返すことは控えるが、地方を「表象」の問題に限定して論じているのが大きな特徴だろう。

大都市の人間が「地方」をどんな風に眼差しているのか、という支配的な地方像を取り上げて、それを「押しつけ地方論」として批判する。その時援用するのが、オルタナティブな表象(対抗表象)としての、また別の地方像だ。

「押しつけ地方論」も、それに抵抗する「対抗表象」も、近年の様々な映画作品を通して具体的に説明されるのだが、これが面白い。ふだんほとんど映画を見ていない僕も、ここに紹介されている作品をぜひ見たくなった。

地方住まいのもはや若者とはほど遠い人間からしても、著者の提示する対抗表象には説得力を感じることができた。一口地方とはいっても地域による格差は著しいし、貧困やコミュニティの衰退といった問題があるのは、大都市部と変わらない。また文化や経済においても、東京の劣化コピーや下請けであることを超えて、直接世界とつながる気概と実力があるのも本当だろう。

「大井川歩き」という活動から見ると、著者が最後になって、「表象の暴力」とは別に、「表象の創造性」を指摘している部分が興味深い。

著者は、地方の郊外の風景に魅力がない理由として、整然としたアメリカ的な郊外にはない旧住民と雑多な商業施設をあげている。しかし、外部の目によって「表象の転換」が起きれば、それらが魅力ある風景となる可能性があるのだという。

大井川歩きは、新住民と旧住民とが入り組んで住む地域が潜在的にもつ物語を掘り起こして、新しい土地の神話(表象)をつくろうという狙いをもつ。地方の風景の意味を転換するなどという野心はないけれども、大井川流域という小さな土地に対しては、何かを創造する試みであってほしいと願っている。

ところで、76年生まれの著者を含む団塊ジュニア世代(1970年代生まれ)こそ、冷戦崩壊の時代に思春期を迎え、アメリカ的な自由と民主主義の影響を圧倒的に受けた世代であり、「新しい公共」の担い手となったという指摘は、上の世代の僕にはとても新鮮だった。