大井川通信

大井川あたりの事ども

方角に祈る

昨晩は、宗像大社の近くに自動車を置きっぱなしにしていたので、午前中、ゆっくりと大社までの4キロばかりの道のりを歩く。昨日、諸星さんと車で走った道を感無量でながめたりしながら。以前のようにやみくもに歩いていたときに比べて、足の故障であまりたくさんは歩けないと思うと、踏みしめる一歩一歩が貴重であるような気がする。

道の角で、小さなダンベルを両手に持った年配の方とあいさつする。僕の首からつるされた双眼鏡を見て、「メーターを調べる人ですか」と気さくに話しかけてくる。鳥を見ているのですよ、ということからしばらく立ち話をすることになった。

ここに住んでまだ20年くらいだそうだから、この土地の旧跡や伝承についてはご存知ないだろう。けれど大井川歩きは、このフィールド内の一切の事物に、過去と現在の区別なく等しくかかわろうとする試みだ。たまたまこの地にやってきた人の人生も、大井川流域のかけがえのない構成要素となる。

彼の指さす方向に目を向けると、川べりに広がる平地の先に連山が見える。あれが福智山で、奥さんの実家がある場所だという。筑豊の名峰である福智山がこの場所から見えることを、僕も初めて知った。北側に指を向けて、自分の祖先の出身地である周防大島(尾畠春夫さんが二歳児を救出した島だ)がある方向だという。また、福智山の少し東側を指さして、自分の出身である田川の香春岳があるあたりだと教えてくれる。

彼が住む借家の門前からは、広い景色の中に、福智山を中心にして、自分のゆかりのある三つの方角を望むことができる。彼は、毎朝、その方角に頭を下げているのだそうだ。

この話を聞き、彼の指し示すままに遠方に思いをはせて、とても新鮮な気持ちになった。僕たちは今、故郷や遠方の知人を思うとき、知識や情報に基づいて、それを大切な手がかりとするだろう。僕も、電話やメールを日常使いながら、故郷の東京がどの方角にあるのか考えたこともない。

かつての人々にとって、遠方にアクセスする手段として、方角こそが最も身近でほとんど唯一の手がかりだったのだろう。だから空間への感覚は、いまよりずっと研ぎ澄まされていたはずだ。

そのご老人(山崎さん)は、家族と別居して、仕事の関係でこの土地に一人で暮らしているそうだ。学生時代に畜産の勉強をして、二年前までその仕事の手伝いをしていたという。今は80歳。家を教えてもらったので、機会を見つけてまた話をうかがいたいと思う。