大井川通信

大井川あたりの事ども

炭鉱王の別荘

仕事で地元の旅館のご主人と話をする。高台の座敷からは、玄界灘の白波が見えている。僕が炭鉱に興味があると言ったら、話が思わぬほうにすすんでいった。

ここはもと炭鉱の経営者の別荘だったところで、それを昔ご主人のお父さんが買い取って改装して旅館にしたのだという。表通りに面した他の旅館と違って、奥まった高台にある理由がうなずける。ちょうど黒崎の駅前に大きなデパートが建設されるときに、お父さんは地元の川砂を採取する権利を得てそれを売り、財産を作ったそうだ。一方、当時は炭鉱の景気が悪くなっており、経営者も別荘を手放さなければならなかったのだろう。

ご主人はもともと筑豊の農家の生まれだった。屋敷には古い大日如来があって、友だちから大日、大日と呼ばれていたという。出身がたまたま僕が聞き取りで調べたことのある炭鉱町の近くで、知っている炭鉱の名前や地名を出すと話が盛り上がる。

今は廃線となったが、石炭を運ぶ鉄道があったところで、両端だけが客車であとは貨車ばかりの電車が走っていたこと。炭鉱の共同浴場に入りにいったら、入れ墨の男たちばかりで驚いた話。学生時代に、大手炭鉱の購買店でアルバイトをしていた話。

そのあとご主人は関西に料理の修行に行ったそうだが、この旅館のベテランの仲居さんから、フグの調理ではご主人の腕に並ぶものはないと聞いたことを思い出した。近くに新日鉄の大きな施設があって、昭和40年代、50年代までは、夏になると人がごった返すくらいで、商売も繁盛していたという。

今は一人旅の外国のお客さんもやってきて、まったく話が通じなくて困るから、英語だけはもっと勉強しておけばよかったと後悔しているそうだ。