大井川通信

大井川あたりの事ども

駅弁をめぐるイリュージョン

駅弁容器とミニチュア駅弁のセットを玄関に展示するプランが未遂におわった話を書くために、久しぶりにコレクションを取り出してながめてみた。やはりいい。このまま仕舞うのはもったいない気がして、何気なく職場にもっていくことにした。

明日から職場の若い人たちだけで、慰労の旅行に出かける予定と聞いている。年かさの者として、せん別を渡したい。そこで突然、こんなアイデアがひらめいた。

机の上に、ミニチュア駅弁を三つ並べて置く。奥の書棚に、本物の駅弁の容器を三つ並べ、その脇にせん別の入った袋を用意する。仕掛けはこれだけ。

そこに若い人たちが、明日からの旅行の挨拶に入ってくる。「旅先でお腹がすくだろうから、苦労して全国から駅弁を取り寄せたんだ」と言って、これは高崎のだるま弁当、これは神戸のひっぱりだこ飯・・・と解説をする。ミニチュアのフタをとると、おかずも小さく再現されているから、若い人たちも驚きの声をあげる。

「しかし、これじゃ小さくてお腹にたまらないよね。幸い、今僕はビッグライトの研究をしているから、光線を当てて大きくしてみよう。うまくいくかな」と不安がると、いつものお約束で、若い人たちも、そんなことできるわけありませんよ、と返してくれる。

三つのミニチュアの上にハンカチをかけてから、双眼鏡で上から「ビッグライト」を当てる。小さなミニチュアは、ハンカチの凹凸にすっかり隠れている。さあ大きくなったよ、と背後を振り向かせると、そこには十倍以上になった本物の駅弁が。

展示に引き続き、イリュージョンも大失敗の方が話としては面白いかもしれないが、手品は小学生からやっているベテランだから、こちらは見事に成功して歓声を受け、せん別を渡すことができた。何より、10年以上休眠状態のコレクションが突然脚光を浴びて、喜んでいることだろう。

限られた経験や手持ちのモノや偶然のチャンスを活かして、それらを強引に使いまわして、日々をやり過ごし、できればそれを他者とともに楽しむ。気取って言えば、文化人類学レヴィ・ストロースの言うブリコラージュ(器用仕事)の精神といえるかもしれない。手前ミソだが。