大井川通信

大井川あたりの事ども

彼女はどうして神になったか?

天理教の教祖中山みきが神がかりをしたのが41歳、大本教出口なおにいたっては55歳のときである。二人とも、その時までは、農家の嫁や母親として、あらゆる苦難に耐えて、辛抱強く家族の暮らしを支えていた。

何十年という時間の重さは、半端ではない。僕も同じくらいの時間世間に染まって生きてきたから、出口なおのその後の生き方というのがまったく想像がつかない。たまりにたまったうっ憤が、瞬間的に爆発することはあるかもしれない。しかしそれは一気に収束してしまうだろう。

神仏の世界も既得権のネットワークによって支配されている。平凡な老婦人が神を名乗ったところで、誰も取り合わないばかりか、徹底して弾圧を受けるだろう。いったん手にいれた神格を手放さずに戦い抜いたという後半生が、地道で平凡な前半生と比較して、どうしてもわからない。

たとえば現代の新宗教、オウムの麻原の場合であれば、ある程度の宗教的な教養を身につけたのち、若いうちからヨガの教師や最終解脱者を名乗って少数の信奉者を集め、信者を組織していく中で、それに支えられて自らの神格を強化していった。オウムがやったことは極端だが、このプロセスだけは凡庸で了解できる。逮捕されて、信者組織の支えを失っただけで、無残に神格が崩壊してしまった。出口なおの根性に及ぶべくもない。

この問いに対して、僕は、とりあえずこんな風に考えてみた。

世間と夫と神仏という絶対者に対して徹底して仕え、完全に受身になって生きてきた彼女にとって自分の主体性はまったくの「無」であり「真空」となっていただろう。

一方、その中でも無条件の奉仕の対象である神仏は、彼女の中で巨大な絶対性と化していた。何かのきっかけで、彼女の「真空」が神の絶対性を呼び込んで、主体の入れかわりが生じ、彼女自身が神の直接の代理人となったのだ。つまり、前半生での受動性が徹底的に強固であることが、後半生での能動性のゆるぎなさの支えとなったのだと思う。

このことを思い出したのは、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』を読んで、こんな記述に出会ったからだ。著者の内山節さんは、出口なおの神がかりの言葉に「真理」を感じた人々がいたからこそ、大本教は生まれたという。つまり、なおは、人々の無意識の思いに言葉をあたえたのだ。

僕にはこの考え方が新鮮で、ちょっと感心した。たしかに神格を獲得したなおが、本来の神の言葉と、現実の社会や宗教組織の在り方とのギャップを激しく批判した時、それに納得し共感した人々がいたことは間違いないだろう。しかし、これは、あらゆる宗教団体や政治運動に共通する話ではないか。知力や体力、財力に優れた者ではなく、一介の老女がそれを担ったのはなぜか、が知りたいのだ。内山さんの解釈は、僕の問いに答えるものではない、と思った。