大井川通信

大井川あたりの事ども

表札をかえる

実家を取り壊すことになって、いくらか実家の備品を持ってきたけれど、その中に表札がある。父親が知人に彫ってもらった木の表札で、おそらく40年くらいは玄関にかけられていた。ずっと両親の面倒を見てくれて実家の管理をしていた姉だけれども、この表札には無頓着で、僕が持ち帰ってもいいという。石垣りんの詩ではないが、表札などを気にするのは、男の見栄や家父長意識によるものかもしれない。

生垣が虫に食われてだめになってしまったので、自分の家の外回りの手直しをすることになった。玄関にはスチール製の大き目の門柱があって、まるで石塔のような武骨な外観なのは少し気に入っている。「表札」はステンレスの板にローマ字のシールを貼っただけのシンプルなものだったが、気分転換に別のものに替えることにした。

カタログを見ていたら、気に入ったものが見つかった。今さら漢字で苗字を強調する気にはならない。ローマ字書きの上部に、From〇〇〇〇と建築年が入ったデザインである。僕の場合、この住宅街の「草分け」として転入した1997年がそこに入るだろう。

大井川歩きで旧集落を歩くと、寺社はもちろん、町角の石塔にも建立の年号が刻まれている。それを使って「元号ビンゴ」なんて遊びをしたこともあるくらいだ。一方、新しい住宅街を歩くと、住居表示はくどいほどあるが、歴史を示す年号などは全く見当たらない。空間的な差異には敏感だが、歴史的な関係は一切切り捨てられているわけだろう。里山がいつ崩されていつ街が開かれたのか、知る手掛かりはない。

それで僕は、せめて記念の年号が刻まれた表札にかけ替えることにした。本物の石塔ではないから、門柱がこの先どれくらい「保存」されるかは定かでないけれども。