大井川通信

大井川あたりの事ども

『模倣の殺意』 中町信 1971(2004改稿 原題『新人賞殺人事件』)

久しぶりに推理小説を読んだ。推理小説は一時期熱心に読んだことはあるが、何かが語れるような読者では全くない。この本も、書店で「これはすごい」という帯を見て、気まぐれに手にとったものだ。

面白かったので一気に読めたが、思ったより昔の作品で、僕の親世代といっていい著者中町信(1935-2009)も、すでに亡くなっている。高度成長期がまだ終わる前の時代で、世相がストレートに出ている作品ではないけれども、作品世界を構成する要素も仕組みも人間の思想や感情も、すべてどことなく古びていて現在と距離が感じられる。そこも面白かった。デビュー作のためか、文体もストーリー展開も、シンプルで無駄がなく少々骨ばっている。それも悪くない。(以下、ネタバレあり)

密室で、若い推理作家が服毒自殺をする。それが他殺ではないかと疑う二人の人物の行動を追う日付入りの章が交互に並んでいる。事件が7月7日で、解決まで3カ月余り。明快でスタイリッシュな構成だ。

探偵役の一人は、死んだ推理作家の婚約者で、今は亡き有名作家の娘であり、父親の家に出入りする彼と知り合ったのだ。交際中に見聞きした事実を元に、彼の故郷での古い人間関係を「殺人」の原因として追及していく。

探偵役のもう一人は、死んだ推理作家とも面識のある男性ルポライターで、彼に新人賞を与えた雑誌の関係者の個人的な怨恨(交際中の娘を裏切った)が「殺人」の動機と考えて推理を進める。

二人の推理は、それぞれに徐々に核心に迫っているかに見える。しかし、犯人がどちらか一方であるなら、どちらかの推理は的外れということになるのだろうか。

途中、本格物にこだわる推理作家に対して、雑誌の編集長から「探偵=犯人という大テーマに挑戦しろ」という叱咤があったという記述があって、読者への何らかのヒントか挑発にしか思えないのだが、その時点では、二人の探偵の内どちらかが犯人である可能性はとても思い浮かばない。

しかし、終盤に入ると、死んだ推理作家の一年前の新人賞受賞の時期が、女探偵にとっては見知らぬ「今年」の出来事とされることで、交互に並べられた二人の探偵の行動記録に時間的なズレがあることが明らかになる。ていねいに読めば、同一の事件を追っているかに見える二人の記述に、初めから小さな不整合や違和が仕組まれているのだろう。事前にこの叙述トリックに気づいていないかぎり、この小説の白眉は、平坦に思えた作品世界が、時間的に断絶した二つの世界に切り裂かれる瞬間だろう。

トリックは、一年前の同日に同性同名の推理作家Aが同様の状況で自死していたというもの。女探偵は前の事件を追い、男探偵はその一年後の推理作家Bの事件を追っていたことになる。推理作家Aは本当の自殺だったが、推理作家Bの事件は女探偵による殺人だったことを、男探偵は突き止める。ここに、大胆に予告された「探偵=犯人」というテーマが実現することになる。

女探偵の父である老作家は、死の直前に創作力の衰えから推理作家Aの持ち込み原稿の盗作をしてしまう。その原稿が、同姓同名の偶然から推理作家Bの元に渡ったため、それを取り戻し父の名誉を守るというのが殺人の動機になる。

同姓同名の推理作家による、同一の推理小説の原稿がらみの一年違いの同じ日時の事件という無理やりの設定があるために、この叙述トリックは見破られにくい。しかしこの無理やりの設定をこしらえるために、真相のストーリーは複雑でわかりにくくなり、特に女探偵の殺人にいたる動機やふるまいはリアリティを欠くことになる。

もっとも、事件の真相が物語として魅力的で説得力をもつことを要求するのは、この手の作品にはお門違いなのだろう。手品の種それ自体には何の魅力も必要がないことと同じだ。手品でもかんじんなのは上演される現象の見事さであり、種明かしという答え合わせが(種それ自体ではなく)求められるだけなのだから。