大井川通信

大井川あたりの事ども

『天啓の殺意』 中町信 1982(2005改稿 原題『散歩する死者』)

本文庫の解説者は、「叙述トリック」を「Aという事柄(人物)をBという事柄(人物)に錯覚させるトリック」と定義している。僕は推理小説の中でも、このトリックに特に魅力を感じてきた。そこには、何かこの世界の成り立ちの秘密に触れるようなところがあるからだ。

『天啓の殺意』は、推理小説としての出来不出来を超えたところで、根本的な驚きを与え、世界の核心に迫る問いを提出しているように思える。いったい現実とは、虚構とは何だろうか。その二つに区別などつくのだろうか。(以下ネタバレあり)

ある推理作家が、推理雑誌の編集者に、ある企画をもちかける。自分の書いた推理小説の「問題篇」に対して、別の作家に「解決篇」を執筆させ、推理競争をしようというものだ。「問題篇」の原稿には、東北のビニール工場の女専務の殺人事件が描かれているのだが、編集者はそれが実際に起きた事件であることに気づき、自ら事件の調査に乗り出す。

原稿用紙に書かれた虚構と思えたストーリーが、実際の事件であって、その登場人物たちを編集者が実在の人物としてインタビューするという展開には、奇妙な感じを覚えた。小説がまるで現実の世界に侵入したように思えたから。しかし、その現実というものもそもそも小説内の出来事なのだ。

探偵役の編集者が、事件の真相を突き止めて、真犯人を問い詰めようとしたところで事件は意外な展開を見せる。事件の関係者が次々と殺された上に、推理作家も行方不明のままであり、真犯人と思しき人物も殺され、探偵役の編集者も交通事故で重傷を負ってしまう。ここで「叙述トリック」の種が明かされ、驚くべき真相が明らかになる。

推理作家の「問題篇」の原稿が、実は、編集者が調査に乗り出し、それが現実の出来事であることを確認して、真犯人をおいつめるところまで続いていたというのだ。僕はこの真相を知った瞬間、現実に起きたカラフルな出来事が、原稿用紙の上のモノクロの文字の連なりに回収されてしまったような奇妙な感覚を味わった。

初めの違和感が虚構の現実化であるなら、ここでは現実が虚構へと反転する。この反転を成立させるために、ストーリーに無理やりなつじつま合わせがあることには目をつむらないといけない。

推理作家は、編集者が真犯人であることに気づいた実際の事件を、あたかも犯人が別の人間であるかのように書くことで、自分を裏切った人間を闇に葬ろうとしていたのだ。実際のところ、編集者は自分の罪を着せるために、推理作家の思惑通り彼女を殺してしまう。これで探偵=犯人という作者がこだわるテーマは達成されるのだが、ちょっとけむに巻かれたような印象だ。