大井川通信

大井川あたりの事ども

『社会学入門』 見田宗介 2006

昨年出版された見田宗介(1937-)の新著を読んで、著者の衰えのようなものを感じたと書いた。今年に入って、20年前の『現代社会の理論』(1996)を再読して、全盛期の著者の力にあらためて魅了されるとともに、今から振り返るとやや物足りなさも感じてしまった。

この二著の間の20年間のちょうど中間にかかれた本書をはじめて手に取ってみると、『現代社会の理論』で打ち出した構想の後半部分を担っており、前著の続編となっているのがわかる。何よりこの本を読んでおくべきだったのだ。『現代社会はどこに向かうか』(2018)は、本書の部分的で、やや性急な補足といっていいだろう。

しかも本書には、一見整然とした著者の社会理論の根底にある社会的なものへの思いと探究の軌跡を赤裸々に語っているところがあって、引きこまれた。

 「領域横断的」であることや「越境する知」であることは、社会学の目的ではなく、自分にとって本当に大切な問題(原問題)にどこまでも誠実であることの結果なのだという。それでは、著者にとっての原問題とは何なのか。

一つは、人間は必ず死に人類はいつかは滅びるのだからすべては虚しいのではないか、という〈死とニヒリズムの問題〉。もう一つは、すべての個体がそれぞれの「自分」を世界の中心のように感じて、他の「自分」と争ったり愛したりしていることが現実的な問題の根底ではないか、という〈愛とエゴイズムの問題〉。

著者は『気流の鳴る音』(1977)でようやく二つの原問題に見通しをつけて、前者は『時間の比較社会学』(1981)で、後者は『自我の起源』(1993)で、理論的に納得のいくものにすることができたという。原問題にとらわれてから、50年にわたる探究の歩みである。

現代社会の動向を原理的に分析した二著も含めて、いずれもコンパクトな著作で、すでに手もとにある。熟読玩味して学ばないわけにはいかないだろう。