大井川通信

大井川あたりの事ども

子どもの頃の本をあつめる

僕は子どもの時の本を一冊も持っていない。絵本や物語や図鑑、教科書も含めて。大人になってから懐かしくて手に入れたものはあるが、現物として残しているのは、せいぜい高校の時の本が数冊あるくらいではないか。

父親も本しか趣味の無い人だったけれども、蔵書は自分の書棚一つ分と決めていて、増えた書籍は古本屋に売っていた。中原中也全集など、何度父の本棚を出入りしたかわからない。それに、極度に整理好きな人だった。高さの順番できれいに並べた本を少しでも動かすと父親は気づく、と家族の間で信じられていた。狭い実家で持ち物を増やすことはできない、という物理的な制約も大きかったと思う。

父親自身、戦前戦中の東京で何度も引っ越しをして空襲にあい、軍隊に入って21歳で敗戦を迎えたから、子供時分の持ち物などすべて失くしていたと思う。それが後になってどれほどの輝きをもつかを知らなかった。だから父親のしつけを恨む気持ちはない。子どもの僕は、本の整理について父親と似たような価値観をもつようになった。

今ならわかることだが、蔵書には集める快楽もあれば、捨てる快感もある。本を手放すことには相当なエネルギーがいるが、気に入らない本が手元にある居心地の悪さはそれを上回る。コレクションを自分の息のかかったお気に入りのものへと精選することは、これはまた楽しいことなのだ。

そんなわけで、子どもの頃大切にしていた本のほとんどを僕は手放してしまった。表題をしっかり覚えているものもあれば、内容をうろ覚えなだけのものもある。以前であれば、よほどの幸運がなければ見つからないはずだが、今はネットによる情報検索と古書取引が当たり前の時代だ。少しやる気を出せば、正確な書名を探し出し、状態の良い本を比較的安価で、居ながらにして受け取ることができる。

このところ、そんな本との再会を心待ちにする日が続いている。いったん手放したからこそ、再会の感激があるのだろう。今となっては父親に感謝しないといけない。昨日は、13回目の父の命日。