大井川通信

大井川あたりの事ども

『日本のパワーエリート』 田原総一郎 1980

1980年は、僕が高校を卒業し大学に進学した年だ。時代の大きな変化は、その少し前から始まっていたが、巨視的にみれば、消費社会が成立し、ポストモダンといわれる時代が始まるメルクマールとなる年に区切りよく環境が変わったのは、振り返りには便利である。

入学後すぐに、新入生歓迎か何かの講演会で、評論家の田原総一郎(1934-)の話を聞いた。遅咲きで苦労人の田原は当時すでに40代半ばだったが世間的にはまだ無名で、さほど広くはない教室でも聴衆はまばらだったと思う。講師の登場前に、主催者の学生が事前にインタビューしたときの音声が流れていた。

大学の講義が面白くないという話題で、たぶん田原が学生の人気を反映する仕組みが必要だといったのだろう、訳知りの学生が「キルケゴールの講義は学生がほとんどいなかったそうですよ」と反論する。「キルケゴールの講義が実際に面白かったか、あなた知っているの」と田原が突っ込んでいた場面が妙に印象に残っている。

実際に大学の講義の多くは、あぜんとする程つまらなく、スタッフも環境も貧弱なものだった。「学生一流、校舎二流、教授三流」という言葉を、教授自身が自虐で教えてくれる始末だった。

田原の講演の様子はあまり覚えていない。すぐに購入したカッパブックスの新著がこの本で、子どもの時のものとはいえないが、大学入学当時の記憶と結びついて懐かしいので、古書で手に入れる。

1972年を境に日本社会の変質がおきており、エリートの特別階級ができつつあること。日本には国家の戦略がなく、「外圧」のもと官僚と企業の戦略で動いていること。革新(左派)が「暮らしを守る」と主張するだけの保守政党となっていること。ぱらぱらめくると、時代認識や未来の予見でおおきく外しているものはなく、その後の田原の活躍もうなずけるところだ。