大井川通信

大井川あたりの事ども

ヤマシタキヨシさんの家

ヤマシタキヨシといえば、あの「裸の大将」だ、放浪の貼り絵画家だ、というのは、今の若い人たちにも通じるのだろうか。通じはしまい。人気テレビシリーズが終了したのは、20年前。その特別編として数作が放送されてからも、10年が経つ。せいぜいドラッグストアのマツモトキヨシと勘違いされるのがおちだ。

しかし、僕がヤマシタさんの印象が強いのは、やはりヤマシタキヨシという名前のインパクトからだった。大井の古民家カフェで出会って、話をしたのは一度切りだったと思う。60代後半。色が黒く、小柄で猫背気味だった。設計関係の仕事を引退して、地元に家族を残し、大井の一軒家で悠々自適で暮らしているという。学生の頃から登山をしており、海外の山にも遠征する登山家だった。自宅の室内には、岩登りの練習用の壁面をもっているとのことだった。

その後、体力維持のためだろうか、大井ダムの脇を足早に歩くヤマシタさんと何度かすれ違ったことがある。そういえば、近所のスーパーで見かけたこともあった。僕との関係はそれくらいだが、妻は古民家でのストレッチ教室で、一年ほど毎週顔をあわせていたはずだ。

そんなヤマシタさんの訃報を聞いたのは、もう3年ばかり前のことだ。冬の阿蘇山の斜面で100メートルを滑落し、命を落としたのだ。人づてに聞くと、アフリカに長期滞在する予定もあったのだという。ヤマシタさんの事故は、新聞でも小さな記事になっていた。

ヤマシタさんの家は、僕の家から歩いて数分のところにあってしばらく空き家になっていたが、今は全く違う苗字の表札がかかっている。高台の日当たりのいいまだ新しい家だから、買い手が見つかったのだろう。

この土地は、ヤマシタさんのお父さんが買い求め、結核の治療のために住み始めたのだと後から聞いた。なるほど、隣接している総合病院は、かつて結核の専門病院だったと聞いたことがある。

今朝は、久しぶりに大井の旧里山の住宅街に沿ってぐるりと歩いた。桜は散ってしまったけれども、八重桜だけは重量感のある花弁をぎっしり並べている。ヤマシタさんの家の前にたっても、彼の記憶も人生もすっかり拭い去られているかのようだ。もともと住宅街とはそういう場所なのだろう。人と土地とのクールな関係を了解し、むしろそれを望んで人が移り住むところなのだ。