大井川通信

大井川あたりの事ども

忌野清志郎の顔

衛星放送を見ていたら、忌野清志郎(1951-2009)の特集をやっていた。93年くらいに制作された番組で、インタビューやライブ映像などを取りまぜている。国立のたまらん坂の上で「多摩蘭坂」を歌い、国立駅北口で「雨上がりの夜空に」を熱唱する。

まだ少しくすんで、湿っぽくて、田舎くさいところの残っている国立の街が映っている。懐かしかった。この15年で国立もすっかり高層マンションときらびやかな商業施設と高額所得者の住宅で埋め尽くされてしまった感がある。

国立の街のはずれには、ハケと呼ばれる国分寺崖線がななめに伸びていて、そこには段差と坂がある。たまらん坂もその一つなのだが、ハケの雑木林が残ったボンコ園という奇妙な名前の小さな公園があって、僕は長い間「ボン公園」だと思っていた。清志郎は、そこのブランコにすわってインタビューを受けている。

あらためて地図をみると、清志郎の通った国分寺二小や三中は、国立駅をはさんで僕の母校の国立三小や一中と同じくらい離れているけれど、みふじ幼稚園は駅のすぐ近くだ。僕も急坂の上のそのあたりでよく遊んでいた。

番組では、歌もよかったけれども、驚いたのは何より清志郎の表情だった。40歳を過ぎた清志郎は、実にいい顔をしている。さっぱりと無垢で、だけど少しおびえたようなか弱さがあって、てらいもかまえもなく世界とむきあっているやさしい顔だった。

清志郎の歌詞にある「多摩蘭坂の途中」、そこには僕の友だちもいたな、と思いだす。