大井川通信

大井川あたりの事ども

不空羂索観音の憂鬱

子どもの頃から、お寺が好きだった。近隣の武蔵野の素朴なお寺を自転車でみてまわった。高度成長途上の日本と我が家はいまだ貧しくて、関西への家族旅行などは考えられなかった。

だから、中学の修学旅行での初めての京都、奈良は、どれほどうれしかっただろうか。ただし修学旅行は班ごとのグループ行動だ。自分の好きなところを見て歩くわけにはいかない。

僕はそのころ写真集で、東大寺三月堂の不空羂索(ふくうけんじゃく)観音にあこがれていた。豪華で威厳のある姿とともに、不空羂索というネーミングのカッコよさに魅かれていたのだと思う。羂索とは投げ縄のことで、すべての衆生を救済するために、観音像が実際に手にしているものだ。

しかし、僕のグループは、東大寺の自由行動で三月堂を見学するコースをとらなかったので、僕は、観音様の救済の投げ縄を受けることは出来なかった。大仏や仁王像など他に見るべきものはいくらでもあったのだ。

10年ほどまえ、出張のついでに東大寺を参拝したとき、初めて三月堂を拝観して、中学時代のこの苦い思い出がよみがえった。そして、驚いた。

不空羂索観音の姿だけではない。奈良時代の堂々たる内陣に、国宝の天平仏の数々が、ところ狭しと並んでいるのだ。3メートルを超す観音のすぐ両脇には、あの日光、月光の両菩薩がひかえている。切手の図柄で見慣れていたが、実物は、まさに仏そのものというしかない凛とした存在感だ。今までに経験したことのない、おそるべき緊張感をはらんだ空間だった。

だから、今回、仏像に興味をもった次男に、なによりも東大寺の三月堂だけは見せたいと思ったのだ。5月とは思えない猛暑のなか、坂道を上って、三月堂の中に入る。ひんやりとして薄暗い内陣は、以前のままだ。観音像を中心とする天平仏の林立も同じだが、しかし、何かがちがう。何かが。こんなものではなかったはずだ。

すぐに、その理由に気づいた。日光、月光両菩薩の姿がないのだ。聞けば、新しく開館した東大寺ミュージアムの目玉として移されたらしい。不空羂索観音が発する巨大な祈りの波動を、両脇で受け止めて鋭く増幅していたのは、両菩薩だったのだ。

両菩薩がいない礼拝空間は、残念ながら、数段階、集中度が落ちたものに思えた。