大井川通信

大井川あたりの事ども

ムーミン谷の霊園

両親は、60代のうちに自分たちの墓地を購入していた。東京と埼玉との県境を過ぎたあたりで、JRと徒歩で行ける場所にあるから、当時でもそれほど安い買い物ではなかったはずだ。無神論者であるはずの父親のそんな振る舞いが、当時の僕には少し不思議な感じがした。

父親の両親が眠る菩提寺は、茨城県にあって僕も一度くらいしか行ったことがない。次男の父親には、自分たちの墓所を近場に用意しないといけないという気持ちがあったのだろう。僕も何度か、新しい霊園に掃除とかで家族で行ったことがある。両親も、散歩がてら、その墓石だけで誰も入っていない墓を何度も訪れていたはずである。

13年前に、父親が亡くなって、遺骨をその墓石の下に納骨した。その時、初めて故人が墓に入る、という言葉の意味を実感した。火葬し、遺骨を拾い、骨壺に収め、その骨壺を墓に収める。一つ一つのプロセスには、遺族の思いが込められている。墓所は、故人をしのぶための単なる象徴なのではなく、具体的に死者の魂が住まう場所なのだ。

昨年、母親が亡くなって、両親そろって墓に眠ることになった。そして一周忌。ささやかに家族だけで行うことにした。両親もそれを望んでいるだろう。両親が可愛がっていた孫二人も、なんとか都合がついて、参加できることになった。

墓地はなだらかな丘陵の南向きの斜面にあって、正面には連山の向こうに雪をかむった富士山の姿が眺められる。周囲は茶畑の多い田舎で、さすがにこの眺望がふさがれることはないだろう。姉と僕たち夫婦と孫二人で、墓に手をあわせる。おそらくこんな光景を、両親は思い描いていたはずである。

霊園のある入間市は、僕の好きな禅宗様建築の高倉寺観音堂がある場所で、高校の頃からなじみ深い土地だ。隣町の飯能市には、今年、ムーミン谷を模した公園ができたので、足をのばして午後からそこで遊んだ。この地域には縁もゆかりもなかった妻だが、昔からムーミンのファンなので大喜びだ。この土地を選んでくれた両親に感謝。