大井川通信

大井川あたりの事ども

茶碗の中

奈良国立博物館で、国宝の曜変天目の茶碗をみた。焼き物には知識も関心もなかったのだが、曜変については、一昨年、その再現に取り組んでいる陶工のドキュメンタリーを見て、心をうたれた。その後、人気鑑定番組で、新発見という触れ込みの曜変の真贋論争がもちあがり、曜変天目にいっそう注目が集まる原因となったようだ。

平日だが、曜変には長蛇の列ができている。予定の時間ではとても見ることができないと思ったが、展示ケースの周囲に張られたロープの外からなら、順番を待たずに観てもいいという。長く順番をまっても、展示ケース前にいられる時間はごくわずかだ。その人たちの背中ごしになるが、位置をあちこち変えたり、背伸びしたりして、ゆっくりと鑑賞することができる。ここでは、持参の短焦点の単眼鏡が力を発揮した。

茶碗の内側の、小さなリングの連なりのような斑文と、ブルーの光彩が美しい。ただし、茶碗の底までを覗き込むことはできない。茶碗の中の「宇宙」の全貌と向き合うことはできないのだ。

小泉八雲の作品で、「茶碗の中」という短い怪談を読んだことがある。ある侍が茶を飲もうとすると、茶碗に見たこともない美しい若侍の顔が映っている。気にせず飲み干すと、あとで実際にその若侍と配下の者が、無礼をとがめにやってくる、という話だ。

両方の手のひらで囲ったくらいの小さな面積であっても、それが半球型に丸くくぼむことで、茶碗として飲み物をためることができる。さらには、そこに別の世界を認めたり、宇宙全体の窓とすることすらできるのだ。

覗き込めない曜変天目を、遠巻きにうかがいながら、茶碗の不思議について考えた。