大井川通信

大井川あたりの事ども

町家の離れでごろごろする

用事で遠方に出向いたら、その近くに白壁の古い町並みがあった。江戸時代からの土蔵造りの商家が、かなり残っている。国から保存地区の指定を受けて、それなりに観光地として売り出してはいるようだが、平日の昼間のせいか、人の姿はほとんどない。第一、真夏のような日照りだ。

こうした町並みの古い道は、必ず微妙に曲がり、うねっている。そこがたまらない。まるで直線という概念がないみたいだ。整備されて見学が自由の、大きな町家があったので入る。老舗の酒造業者の住宅らしい。

玄関から石畳の道を歩いた奥に立派な離れがある。三間続きの座敷に、靴を脱いで上がり込む。座敷には縁側があって、奥の庭に降りられるようになっている。風が通り抜け、十分に涼しい。

座敷から振り返ると、両側からふすまに挟まれ、上下は畳と天井で挟まれた長方形のさらに先に、土塀に四角く開けられた入口が小さく見えて、通りの様子がうかがわれる。歩く人や通り過ぎる配達車。望遠鏡の鏡筒の先のレンズのようで、目が離せない。

誰もいないので畳に横になって、ごろごろとする。すると、光の筒に見とれていた時には暗い背景だった天井や欄間や床の間などが、心地よく身体に巻き付いてくる。

越後谷研一の『現代建築の冒険』を読むと、彼が「屋根付き開放型」と呼ぶ日本家屋が、日本人の居心地の良さの原点であると書かれているが、まさにそうだと納得できる。とにかく気持ちがよい。この「開放性」を支えるのが、庭を含めた広い敷地全体である、という指摘もうなずけるところだ。

縁のすぐわきには水琴窟がしつらえてあって、地中の甕の中に落ちる水音が耳元に響いてくる。目を閉じると、すっかりこの空間に溶け込んでしまいそうだ。