大井川通信

大井川あたりの事ども

暗礁と空ぶかし

政治を語る言葉は、とても単純だ。たとえば、ある政党の政治家の語る言葉は、つねに、政権の悪だくみを暴く、というものに終始していた。僕ははじめ、それを大衆を動かすための方便なのかと思っていたが、どうやらそうではなく本気らしい。かつて埴谷雄高が、政治の本質は「奴は敵だ、敵を殺せ」に尽きると指摘していたが、まったくその通りなのだ。

何か悪しきものを自分の外に認定して、それをひとくくりにして、「撃破」する。そういう言葉は、どんなに身近なことを扱っていても、政治なのだと思う。僕も、それほど意識はせずに、そういう論法を使っていることがある。現に今がそうだ。政治ということをひとくくりにして、それを単純に性格づけて、自分には関係のない悪として退けようとしている。人間は、本質的に政治的な動物なのだろう。

ところで、政治を語る言葉には、単純であるにしろ、そこまで物騒ではない、もう少しニュアンスに富んだものもある。新聞をながめていて、そのことに気づいた。

「首相の『前提条件なしの北朝鮮との対話』発言も、政府内には『対ロ交渉が暗礁に乗り上げ、参院選に向け、安部外交が活発だと印象づけようと、空ぶかししているのではないか』との見方がある」

政府内の見方だから、敵認定の言葉ではないだろう。しかし、記者が引用したのは、政権批判が目的なのはまちがいない。記事の見出しには、「手詰まり」「変節」などのマイナスイメージを示す言葉がおどっている。

「空ぶかし」とは、うまい例えだと思う。ちょっと感心した。クラッチをつながずに派手にエンジンを回す、あれだ。僕自身も、状況が手詰まりになったり、暗礁に乗り上げたりするのは、いつものことだ。そういう時は、なんとか自分を元気づけたり、周囲にアピールしたりするために、目先を変えて、空元気を出したりする。現に、こんな話題でブログを書いているのも、空ぶかしの手法なのかもしれない。

政治を語る言葉は、単純で、どうしようもなく人間的だ。この記者も、暗礁に乗り上げたら空ぶかしの記事を書くだろうし、たとえ政権が交代しても、政治家は、事態が手詰まりになったら変節したり、空ぶかしをしたりするだろう。そうして、そんなことは当たり前だと、本音では思っているだろう。

しかし、そういう人間くさい政治の言葉からこそ、わずかでも距離を置きたいと思う。