大井川通信

大井川あたりの事ども

井山、いやまて!

僕の小学校の頃にも、道徳の時間というものがあって、副読本みたいな教材を使っていたと思う。その中に、語呂合わせみたいなこの言葉が出ていて、妙に耳にこびりついている。

クラスの子どもたちが、ケンカをする。それをとめた担任の井山先生が、あとでみんなにこんな話をする。かっとなったときには、自分の名前を思い出してほしい。いったん「井山、いやまて」と唱えて、心を落ち着かせてほしい、と。

教材としては、こじつけに近く、よくできたものとはいえないだろう。物語の中の井山先生以外、この語呂合わせを使うことはできないからだ。にもかかわらず、この台詞は、半世紀の歳月を経て、僕の記憶の中で生き続けた。もっとも覚えているということと、実際にこの標語めいたものが役に立ったのか、は別の話だ。

むしろ役に立った記憶は一度もないくらいなのだが、もしかすると、この標語がうまく機能して怒りが収まったときのことは、すぐに忘れてしまって、短気でことを荒立てた失敗の方が、後悔の念とともにいつまでも記憶に残っているためかもしれない。それなら、井山先生の名言も少しは有効だったということになる。

最近、職場で、アンガーマネジメントの研修を受けた。そこで怒りの仕組みや衝動をコントロールする仕組みについて、ざっと説明をうけた。近年、この言葉を聞くようになってはいたが、それまでは、こんな技法に特化した話を人から聞いたり、活字で読むような機会はなかったと思う。井山先生は、ずいぶん時代に先んじていたのだ。

僕自身は自分の怒りっぽさにうんざりし、家族にはさんざん被害を与えてきたから、こういう地味な知識や知恵こそが、なまはんかな思想よりもずっと大切なことは、身にしみてわかる。

アンガーマネジメントでは、衝動のコントロールは最初の6秒をやりすごすのが大切だといわれる。だとしたら「井山、いやまて!」の7文字を唱えることは、意外と理にかなっていたのかもしれない。