大井川通信

大井川あたりの事ども

『三陸海岸大津波』 吉村昭 1970

この書物を読むと、まるで2011年の東日本大震災の時の大津波の記録を読んでいるような気になる。あの時には、福島原発が「想定外」の被害を受けたということもあって、千年に一度くらいの稀な津波被害に、運悪く巡り会ったかのような印象を受けていた。事情にうとい人なら、僕と同じように思っていたのではないか。しかし実際には、百年に複数回起きている災害だったのだ。

著者は、明治29年(1896年)の津波と、昭和8年津波(1933年)の津波について、当時の記録や聞き取りをもとに、たんたんとその恐るべき被害を記録している。著者がこの本を調査・執筆したのは、前者の津波からは70年余り、後者の津波からは40年足らずが経過した頃である。明治の津波の生存者も存命しており、昭和8年津波を子どもの時に体験した人は、まだ40代の働き盛りだ。昭和35年(1960年)には、地球の裏側での地震の影響によるチリ地震津波が襲来して、少なくない被害をもたらしている。

著者が津波の記録をまとめようと思ったきっかけは、ある被災者から聞いた「二階家の屋根の上にそそり立った波がのっと突き出ていた」という話の異様さである。これは体験した者以外には想像が困難であるようなイメージだ。文学者ならではの感性でこのイメージに感応した著者は、聞き取りや文献の調査にのめり込んでいく。こうしてまとめられた本書は、津波の記憶を保存する、創作の要素の無いルポルタージュとなっている。

二つの大津波で多くの死者を出した田老町では、海面から高さ10.65メートルの巨大防潮堤を作って津波に備えた。ただ著者は、二つの大津波で10メートル以上の波高を記録した場所が多いことから、防潮堤を津波が越すことを危惧している。実際に2011年の津波は防潮堤を破壊し、田老地区(旧田老町)で新たな犠牲者を生んでしまった。無防備だったわけでも、教訓を活かさなかったわけでもないのだ。暗然たる思いがする。