大井川通信

大井川あたりの事ども

河童忌に芥川龍之介の『河童』を読む

芥川龍之介(1892-1927)は、10代の頃の僕のアイドルだった。今も、唯一全集を持っている小説家である。だから、河童忌だけは、昔から忌日として意識していた。

芥川がアイドルだったというのが、僕の限界というか、いかにも自分らしい。漱石はもちろん、太宰の方が今の時代につながっていただろうし、当時は、背伸びをして、戦後作家の三島由紀夫大江健三郎を読むほうが普通だったかもしれない。

芥川で好きなエピソードは、晩年の泉鏡花との交流である。鏡花全集のために芥川が書いた序文(宣伝文?)が泉鏡花を感激させて、芥川の自死後、その原稿を、自分の本の見返しの装丁に使ったというものだ。

これはだいぶ後になって知ったことだが、芥川が大学卒業後しばらく海軍機関学校の英語教師をしていた時、書類の作成や提出などの事務仕事はまるで不器用だったそうだ。あの聡明な芥川でもそうなのか、と自分に引き寄せて、同情するとともに少しうれしかった。

今回、全集14巻を取り出して、「河童」を再読する。あまりピンとこない。それならと名作「玄鶴山房」や「蜃気楼」に目を通すと、さすがとは思うが、それ以上響いてくるものはない。そのかわり、「誘惑」「浅草公園」という奇妙なシナリオ、というか短文をつないだカット割りみたいな作品が斬新で面白かった。芥川の可能性は、まだまだ全集の中に埋まっているはずだ。