大井川通信

大井川あたりの事ども

『20世紀建築の空間』 瀬尾文彰 2000

僕が建築の本を読むのはなぜだろう。もちろん建築の設計をするわけではない。建築の鑑賞も、趣味といえるほど熱心に行っているわけでもない。ただ、建築に関する語彙や語り方を学んで、自分が生きている世界について理解する手がかりを得たい、という漠然とした気持ちがあるような気がする。

ハイデッガーの「世界-内-存在」をもじって、我々は「家-内-存在」であると書かれた文章を読んだ記憶がある。集落も都市も建築の集合体なのだから、僕たちは、基本的に建築の内部で、建築と向き合って、それを無意識の地平として、日々の生活を営んでいる。「建築-内-存在」というのが、僕たちの生存の基礎的な態勢といえるとしたら、やはり建築に固有な語彙は、僕たち自身を振り返り問い返すために、役に立つものであるはずだ。

著者の瀬尾文彰(1940-2008)は、現代建築を構成する、三つの建築空間の形式を説明する。一つは「均質空間」。一般的なオフィスビルに代表されるような、どこにも質的に差のない空間であり、産業社会の要請であるとともに、抽象的な美しさを備えている。次に「時・空間」。時間による変化や流動する動きをはらんだダイナミックな空間の形式だ。最後に「場所」。これは均質空間とは対極であり、性格をもち人間の感覚に直接響く空間の形式である。

著者は以上のような三つの「形式」をあげた上で、現代建築の動向というものが、「形式」優先の発想から、機能などの建築の本質から形態を決定していく方向に向かってきたのだと力説する。これを建築の「有機原理」と呼ぶ。部分同士及び部分と全体との相互依存関係がある有機体にならっての命名である。

形式優先の発想が好むのは「均質空間」であり、有機原理が「場所」と「時・空間」に近しいというのはわかる。ただ、著者が、「空間計画学」という新たな学問を創始する目的からか、空間の形式とその構成や計画の原理とを分けて考察しているのが、建築の素人の僕には少しわかりにくかった。

さっそく、この新しいボキャブラリーを携えて、大井川流域を歩いてみよう。里山を開発した住宅街の整然とした街並みや、都市計画で新たに建設した直線道路や交差点には、「均質空間」の匂いがする。一方、古くからの旧道や集落の街並みは、曲がりくねって全体を見通すことができないため、先へ動くことを促す「時・空間」だ。寺社は人々の足をとめ、頭を下げさせる力をもつ典型的な「場所」だろう。

大井川流域のデザインは、何百年の時間をかけて形作られてきたものだ。300年前に作られたため池は、今でも米作に不可欠な水を田んぼに供給している。地元の田畑で働く人々によって旧集落が形成され、旧道や商店街が整備された。近年の里山開発で、ため池には住宅街がはきだす雨水の調整池という役割も加わった。新住民は他地域での仕事をもち、通勤のための新道路が建設される。不足する水道水のためにダムも作られる。スーパーやコンビニも出店する。開発で潤った旧集落の景色も、新しい農機具やビニールハウス、里山のミカン畑等で変わっていく。近年は後継者不足で、ソーラーパネルの設置も目立つ。

少しながめただけでも、これだけの相互性と多様性があり、変化しながら、全体としてバランスを保っている。ここに「有機原理」が働いているのは間違いないだろう。