大井川通信

大井川あたりの事ども

「私は淫祠(いんし)を好む」

永井荷風(1879-1959)が東京の街中を散策したエッセイである『日和下駄』(1915)の一節。淫祠(いんし)とは、いかがわしい神をまつったヤシロやホコラのこと。

「裏町を行こう。横道を歩もう。かくの如く私が好んで日和下駄をカラカラ鳴らして行く裏通りには決まって淫祠がある。淫祠は昔から今に至るまで政府の庇護を受けたことがない。目こぼしでそのままに打捨てて置かれれば結構、ややともすれば取払われるべきものである・・・淫祠は大抵その縁起とまたはその効験のあまりに荒唐無稽な事から、なんとなく滑稽の趣を伴わすものである」

荷風は、日和下駄(ひよりげた)をはきコウモリ傘を手にして、東京市中をてくてくと歩く。洋傘はにわか雨対策として、下駄はぬかるみの多い道を歩くために必要だという。開発の進む東京の街の姿に、かつての江戸の歴史を重ね、何気ない町並みや風物に愛着をもち、ヨーロッパ仕込みの文明批評を加える。しかし、視線はあくまで無用者の一散歩者として。

荷風はなぜ淫祠を好むのか。小さなホコラや祈願をしたり、路傍の石地蔵にヨダレカケをかけてあげる人たちは、他人の行いを新聞に投書して復讐を企てたり、正義人道をかたって金をゆすったり人を迫害したりする文明の利器の使用法を知らない、と荷風はいう。また、次のようにも。

「私は医学の進歩しなかった時代の人々の病苦災難に対する態度の泰然たると、その生活の簡易なるとに対して深く敬慕の念なきを得ない。およそ近世人の喜び迎えて『便利』と呼ぶものほど意味なきものはない」

かつての庶民の暮らしに尊敬と敬慕の念を抱く、というのが荷風らしくていい。