大井川通信

大井川あたりの事ども

『ファンタズム』シリーズ ドン・コスカレリ監督 1979-2016

90年代の初めの頃、ホラー映画ばかり見ていた時期がある。レンタルビデオ店のホラーコーナーを借りつくしたくらいだった。当時もすでに『ファンタズム』はマニアの間では有名で、1979の1作目と1988年の2作目、1994年の3作目はみていたと思う。その後、1998年に4作目、そして2016年には5作目が公開されている。

たまたま、最近衛星放送で全シリーズの放映があったのだが、さすがに低予算のB級ホラーで、今では映画として見ていられない感じだった。しかし、シリーズを見通すと、また別の感慨があった。

四半世紀に渡るシリーズというのもすごいが、設定もモチーフも登場人物とその役者も、基本的には同じだ。葬儀屋のトールマンが死体を回収し、小さなゾンビに作り替える。ジョディとマイクの兄弟とアイスクリーム屋のレジーとが固い友情で、トールマンに対抗するという構図も共通だ。

このシリーズを引き立てているのは、トールマンが操る謎の銀色の球体である。トールマンという長身の老人の不気味なイメージだけでは、シリーズの人気を維持することは難しかっただろう。自分の意志を持つかのように高速で空中を移動し、表面から突き出すドリルなどの武器で人の肉体を攻撃する無機的な球体は、このシリーズの世界を統べるゼロ記号のような役割を果たしている。シリーズ全体の通奏低音となる印象的なテーマ曲とともに。

もう一つの重要なモチーフは、こちらもシンプルな二本のシルバーの円柱で、これが異次元へのゲートの役割を演じて、単純なストーリーと少ない登場人物の世界に変化とふくらみを持たせている。

ところで、このシリーズで一番「怖い」部分は、人間が老いるという端的な事実かもしれない。少年だったマイクは、青年から中年へと変わり、若者だったレジーも、めっきり老け込んでいく。おそらくは無計画に反復しつつ増殖していくシリーズの物語は、実際に老いていくにしたがって取りとめなく現実と空想の区別がつかなくなり、痴呆状態に陥っていく人間のリアリティをしめしているかのようで、実に怖かった。

長期のわたるシリーズ制作で同じ役者にこだわったことが、期せずして人間の老いを正面から描くことにつながったのだ。