大井川通信

大井川あたりの事ども

水田という演劇空間

以前、長期の演劇ワークショップに参加したとき、演出家の多田淳之介さんから教えられたのは、舞台の空間全体を見渡して、そこここで行われていることに反応する、ということだった。これは演者として舞台にたっているときだけではなく、観劇するときのコツでもあるだろう。

演劇とは、舞台空間そのものを提示する試みだ。ストーリーでも役者でもない、主役は空間それ自体であるのだから。

ワークショップの帰り道、中華料理の王将に立ち寄ったときのことだ。王将では、カウンターごしに厨房全体を見とおすことができる。僕のような腹が減って金のないお客たちからのひっきりなしの注文にこたえて、大勢の料理人と配膳係が忙しく立ち働いている。

そのすべての動きが、いちどきに視野に入ってきて、一つの舞台のように僕に迫ってきたのだ。一見バラバラの動きだが、それらは有機的につながり、絡まり合っているようで面白い。演劇で鍛えた視野のおかげだと思った。

今朝、久しぶりに、小さな網とビニール袋を持って、ゲンゴロウを捕りにいく。水田の脇に幅2メートル、長さ10メートルばかりの長方形に水をはった場所があって、傾斜した地面の先まで行ってしゃがむと、足もとから広がる水面を観察することができる。雑草もない水面は、浅いプールみたいで、初めは何も見えない。

やがて目が慣れてくると、水底に広がる泥土にひそんだハイイロゲンゴロウが、酸素補給のために素早く水面にあがり、また降りていく様子をとらえることができる。別のゲンゴロウは、水面付近で円を描いたり、S字を描いたり激しく泳ぎながら、また泥土に身をかくす。何もないかに見えた空間が、今では、あちこちで思い思いに泳ぎ回るゲンゴロウたちの劇場に変貌するのだ。

やがて、ハイイロゲンゴロウよりも、もっと小さな微細な動きが目に入ってくる。泥土から泥土へ矢印のような直線的な動きを見せるのは、小さなオタマジャクシだ。動きを止めると、ほとんど泥と区別がつかない。水底を、ゆっくり移動するのは小さな怪獣めいた輪郭を持つヤゴだ。ほんの数ミリくらいの、ゲンゴロウやガムシの動きも気になってくる。

そこへ、突然、上空から水面ぎりぎりに赤とんぼの襲撃をうける。水中の数ミリの虫の動きに同化してしまった僕にとって、体長わずか3、4センチのトンボが、巨大な爆撃機のようにも思えたのだ。

再び水中に視線をおとすと、相変わらずそこには様々な場面が同時並行で進行している。大きく二本の足を広げた姿が特徴的な小さなマツモムシが、二匹重なって交尾しながらゆっくり流されていく。邪魔しないように、僕はそっと見守った。