大井川通信

大井川あたりの事ども

深夜の楼門

深夜に衛星放送を見ていたら、三億円事件をモデルにした昔の二時間ドラマ「父と子の炎」を放映していた。事件は未解決だけれども、フィクションで真犯人の姿を描いたものだ。

事件は、高度成長期の1968年。ドラマの制作は消費社会の入り口の1981年。この13年の時間差は、当時は相当大きく感じられたはずだ。ロケ地や役者の衣装なども、事件当時の雰囲気を出すように工夫している節がある。

犯人役の佐藤浩市が、父親の白バイ警官の若山富三郎と住む家は、都営住宅風の古い平屋の木造住宅だ。立川駅の駅舎も跨線橋も、街並みも、どこか懐かしい「貧乏くさい」たたずまいをおびている。大きな資本が投下されて、郊外の街が本格的にキンピカに変貌していくのは、さらに10年くらい先のことだろう。

事件の舞台になった東京多摩地区の府中や国分寺は、僕の故郷だ。事件現場の府中刑務所脇も、犯人が逃走に利用した国分寺跡もなじみぶかい。ドラマのラストに、父親が犯人の息子の墓参りをする場面があるのだが、そこで突然、現国分寺の小さな楼門がクローズアップされた。楼門脇の墓所をロケ地にしていたのだ。

国分寺楼門は、子どもの頃の僕には一番身近な古建築だった。江戸後期の小ぶりだがさっぱりとした造型で、白木が美しい。こんもりと老木の生えた参道の先にあって、寺院の門前の広場に建っており、周囲からながめられるというロケーションもよい。

有名な文化財が近所になくても、この楼門に身近に接していたから、古建築の魅力に気づくことができたのだろう。僕にはかけがいのない建物だ。

現代は、様々な情報が氾濫し、どんな映像にもたちどころにアクセスできるようになった。いずれ簡単な検索で、貴重な映像を手軽に見ることができるようになるかもしれない。しかし、深夜のこんな偶然の出会いの喜びには、まさることがないだろう。