大井川通信

大井川あたりの事ども

皇后美智子の短歌

読書会で永田和宏の『現代秀歌』を課題図書にした。哲学書思想書を扱う読書会なのだが、僕の選書の順番だったので、そもそも短歌とな何なのか、という問いを短歌とはすこし距離のある場所で話し合うことができたら、というのが目論見だった。そのことを通じて、短歌が今も若い人たちに受け入れられている理由についても考えてみたかった。

結論からいうと、この目論見はうまくいかなかった。

ふだん短歌を読まない人でも、短歌ということになると、その世界にすっと入って、感情移入したり、その巧拙を論じたりすることが、ふつうにできてしまう。それほど短歌という形式は、我々日本人の身内の食い込んでいるのだ。そうなると、身内から引きはがしてこの形式について論じることは、かえって難しくなる。

「かの時に我がとらざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこに行きけむ」

僕が、この本で取り上げられている短歌の中で、一番の驚きを受けたのは皇后美智子のこの歌だった。この驚きというのは、短歌という器や形式に対する驚きといっていい。それでこの歌を、僕はまっさきに取り上げた。

結婚後30数年が経って、結婚当時を振り返って、皇太子妃になるという選択をしなかったらどんな道をあゆんでいただろうか、と普通に解釈できる歌だ。こういう感想はありきたりなものだ、それを皇室の人間が詠んでいるから評価するのはおかしい、というのが参加者の感想だった。僕のひねくれた「驚き」に共感してくれる意見は皆無だった。

あのとき別の学校や仕事を選んでいたのなら、という想定は日常的なものだ。別の相手と結婚していたら、もっといい人生が遅れたのに、という思いもありがちだが、それを口にするのは難しい。配偶者との関係もあるし、そもそもこの婚姻に基づいて生まれた子どもの存在を全否定することになるからだ。公の場所で口にしたら非常識な発言と判断されるのがおちだろう。

まして天皇家である。人格者として知られる現皇太后である。平成7年の文化の日に「道」という題のもとに作られて公にされた一首だ。この内容がなんの驚きももたらさずに、たんたんと受け渡されているとしたら、その理由は、短歌という器(形式)にあると考えるしかない。

短歌という器のなかでは、日常生活に中でより感情表現の自由度は格段にます。むしろ感情表現の過激化、先鋭化、劇場化が短歌の条件となる。皇后美智子の歌を平凡に見せているのはこのメカニズムだろう。

日本社会は、伝統的に感情表現については抑制的な社会だ。近年多少変化が出てきたとはいっても、大筋は変わっていないだろう。この国で短歌が必要とされて、廃れることがないのは、このあたりに理由があるのかもしれない。