大井川通信

大井川あたりの事ども

泉鏡花の戯曲を読む

学生の頃、図書館で泉鏡花全集を借りてきて、ところどころ読みかじっていた時期があった。法律の勉強にあきて、現代思想にのめり込む前の、ごく短い期間だったと思う。よくわからない言葉も多く、描かれる風俗習慣は別世界だ。しかし、読むとその作品世界にすっと入っていける気がした。特に『歌行燈』が好きで、当時は、最高の小説だと確信していた。

その後、本当にまれに(10年に一度もないくらいだが)泉鏡花を手にとることがあって、そのつど面白いという印象は消えなかった。

最近、ようやく小説を読む習慣を取り戻したので、泉鏡花(1873-1939)の薄い文庫本を読んでみることにした。岩波文庫の『海神別荘 他二編』で、鏡花の三つの戯曲が入っている。短いとはいえ戯曲だから読みにくさはあるのかと思ったが、三篇とも面白く、一気に引きこまれた。

ストーリーは、どれも荒唐無稽で、それを紹介しても、なぜこんな話に魅了されるのかは伝わらないと思う。試しに「山吹」という作品をみてみよう。

温泉町から抜ける山道にある料理屋が舞台。人形使いの醜い老人が酒を飲んでいると、美男の洋画家と子爵夫人が現れる。美しい夫人は、結婚生活が破綻し、温泉町に逃れてきたところ、かつてあこがれた洋画家の姿を偶然認めて後をつけてきたのだ。洋画家に救いを求めるが、仕事に信念を持つ画家からは断られる。やけになった夫人は、人形使いの老人の要求を何でも聞こうと申し出ると、かつて若い女性を傷つけた罪の意識にさいなまれている老人は、夫人に自分を雨傘で叩きのめすことを求める。夫人は、それを実行し、さらには、この醜い老人と心中して、あの世までも老人の望みをかなえてやろうと言い放つ。洋画家は夫人を救う決心がつかず、二人を見送るしかない。

三つの戯曲の主人公はいずれも美しい女性で、にもかかわらず現実世界では虐げられる運命にある。そんな彼女らは、ある瞬間、現実世界にきっぱりと背を向ける覚悟をきめる。それは反社会的、反倫理的なふるまいではあるけれども、一本筋の通った美的決断ともいうべきもので、鏡花の筆は、それを鮮やかに、あでやかに描きつくす。

文庫本の解説に、渋沢龍彦との対談での三島由紀夫の鏡花評が引用されているが、鏡花の核心を突く言葉だと納得した。

鏡花は、あの当時の作家全般から比べると絵空事を書いているようでいて、なにか人間の真相を知っていた人だ、という気がしてしようがない