大井川通信

大井川あたりの事ども

二つの聖地

実家の整理の話があって、急遽東京にいく。早い飛行機にのったが、初日は用事はない。近頃は内向きの生活をしているせいか、行きたい美術展も名所旧跡も観光スポットも思い浮かばない。それで、聖地巡礼をすることにした。

実は、初めからそう思って訪ねたわけではない。振り返って、あとから聖地巡礼だったと思っただけだ。聖地というからには、その土地が「聖性」を帯びていないといけない。聖性というからには、たんなる面白さや物珍しさを提供する場所ではなく、かけがえのない一回限りの出来事の刻印を帯びている場所でなければならないだろう。

あらためてそう考えると、ぶり返した暑さのなか、引き寄せられるように訪ねた二つの場所は、なるほど僕にとっての聖地だと思える。交通の便も悪く、第三者にはなんの変哲もない地域だろうが。

訪ねた順番は違うが、まずは多少聖地らしい場所から。

浅草で乗り換えて、東武線の東向島駅で降りる。東京の西の多摩地区の人間には、なじみのないあたりだ。少し歩くと、かつての私娼街玉の井に出た。電車沿いの道から斜めに伸びる商店街は、ごく平凡なものだが、一歩わき道に入ると、永井荷風が「迷宮」と呼んだ路地の面影が残っていた。

僕にとって『濹東綺譚』は父親の朗読の声の記憶とセットになって、唯一無二の作品になっている。その舞台となった土地を実際に歩けたのは、やはり感無量だった。

ところで、今回の帰省では、国分寺の姉の家に泊ったのだが、新しいカフェの案内本の一部を、父親風に朗読し、そこにランダムに『濹東綺譚』の一節(例えば「サービスに上等の糊を進呈」とか)を挿入するという即興の遊びで、ゲラゲラ笑い合った。こんな遊びが成立するのは、この姉弟だけだろう。

もう一つの聖地は、山手線の五反田駅から池上線に乗り換え、洗足池で降りて、南に一キロばかり歩いたところにある。この東京の南部のあたりも、多摩地区住民にはあまりなじみはない。

日差しが強く、僕はコンビニに駆け込んで、生まれて初めて日傘を購入してさして歩いた。