大井川通信

大井川あたりの事ども

上池台3丁目と東雪谷4丁目

東京都大田区の住宅街。商店街や工場や目立つ公共施設があるわけでもなく、特に特徴がない地域だ。地名に「台」と「谷」がつくくらいだから、地形には起伏があり、坂が多い。

東雪谷4丁目の方は、洗足池へと流れる狭い水路があり、細い緑地帯にもなっていて、周囲には路地めいた住宅街があったり、急な坂の上には病院や社宅があったりする。

上池台3丁目の方は、比較的平らな土地で、区画も整然としている。新しい住宅も多い印象だ。上池台3丁目公園が唯一の公共スペースになっていて、大通りに面しては、飲食店などが並んでいる。

どんなに平凡な街並みでも、この土地で生まれ育ったり、実際に生活をした人なら、特別な場所になるだろう。しかし、隣接する二つの地域をあわせて、それを特別な地域としてひとまとめにするような視線は、特異なものだと思う。

僕は、大学を卒業後、とある生命保険会社に就職した。初めの4カ月が研修期間だったが、その中でメインの研修は、2カ月にわたる販売実習だった。新人が二人一組で、ある地域が割り当てられて、ゼンリンの住宅地図を片手に飛び込みの営業を行う。比較的売りやすい貯蓄型の商品も扱っていたため、ノルマは10本だった。

この二つの地域が、僕たちペアの販売地域だった。毎日寮からバスでやってきて、一日中歩き回った。まずアンケートをお願いして、そのデータをもとに資料や設計書をつくって再訪する。そこから契約に結びつく家がどうにか出て来るのだが、そもそもアンケートに応じてくれる人が、訪問先の一割にも満たなかった記憶がある。

他の地域の新人ペアに後れをとって、ペア同士ケンカをしたり、公園で休んでいるときに、近所の子どもたちと親しくなって遊んだり、地域の方の温情にすがって契約をいただいたり、二か月とはいえ様々な思い出がしみこんだ土地だ。なんとかノルマが達成できた喜びも、今ではもう実感できないが、大きいものだったろう。

僕は保険会社を3年で辞めて、その後営業の仕事はしなかったから、この土地が特別な思い出のある場所となった。今までに何回かは立ち寄った記憶はあるが、職業人としての終盤にさしかかって、そのスタートを刻んだ土地は、ますます「聖性」を帯びてきたのかもしれない。

今回、実際に歩いて、あらためて二つ発見があった。

セールスマンお断り、という表示が昔からあるくらいだから、地域の住民にとって、勝手に営業の拠点にして、短期間営業活動をする販売員など、地域のよそ者であり「敵」でしかないかもしれない。しかし、そこから、こんな風に何十年も土地に愛着を持ち続ける人間が出てこないともかぎらないのだ。人と土地との関係は、一筋縄ではいかない。

僕は、今地域を自宅の周囲に限定して、時には出会った人に気軽に声をかけながら歩くという「大井川歩き」の試みをしているが、その原点にはこの営業活動があったかもしれない。実際に今も、ゼンリンの住宅地図のコピーに、話を聞けた人が住む家にしるしをつけたりしているのだ。

このつながりは、いままで考えたこともなかった。人生、何がどう役に立つかわからない。