大井川通信

大井川あたりの事ども

つぎは15メートルの流しそうめんがやりたい

職場がある地域の敬老会に参加する。

この夏には、自治会の役員さんたちの協力で、地元の竹を使って流しそうめんの台をつくってもらった。子どもたちにはとても好評だったから、そのことのお礼をあいさつで言おうと思った。竹を接いで、8メートルの長さの台にしてもらったのだ。

自分の順番が来る直前に、ふと、ある子どもの感想の中に、つぎは15メートルの台に挑戦したい、と書いてあったのを思い出して、そのエピソードを付け加えることにした。そのときは、この話は少しは受けるだろうな、という漠然とした成算があったくらいで、はっきり笑いをとる自信があるわけではなかった。

古くからの集落がある地域で、参加のお年寄りは30名くらい。平均年齢は80歳を超えているだろう。やはり女性の方が多い。

15メートルのそうめん台の話で、会場はどっとわいた。予想外に、いっせいに笑いが起きた。おかげで気持ちよくあいさつを終えることができたが、つくづく笑いというものは不思議だと思う。

僕は人を笑わすことが好きだから、常日頃スキがあれば面白いネタを放り込んで、人の反応を楽しんでいる。たぶん子どものときからだ。だから、お笑いのスキルや経験知はそれなりにもっているつもりだが、それでも受けたり受けなかったりは水物だ。今回のように、予想外に笑いが発生することもある。

後付けに解説してみよう。笑いの基本は、人間関係やルールに基づく緊張が一気にほどけて、そこから自由になることで生じる。会合の初めの挨拶の時間は、身体を固くして耳をそばだたせるという緊張を強いられる時間だ。

そこに子どもの話が出た。しかも思いつきで自分の希望を口にするような天真らんまんな姿だ。大人社会のルールや遠慮とはまったく無縁の無邪気さ。そのイメージが会場に共有されたときに、瞬間的に緊張がほどけて、どっと笑いを起きたのだろう。