大井川通信

大井川あたりの事ども

追悼 イマニュエル・ウォーラーステイン

世界システム理論」で著名な、歴史学者社会学者のウォーラーステイン(1930-2019)が亡くなった。冥福をお祈りしたい。僕の学生時代には、すでに輝かしい名前だった。

手持ちの『史的システムとしての資本主義』を再読する。原著の元になった講義は、1982年の春学期にハワイ大学でおこなれ、1984年に出版されたあと、1985年に早くも翻訳が出ている。あとになって、僕は原著も購入した。

1982年の春といえば、僕は大学の三年生で、無味乾燥な法律解釈学の勉強にあきて、今村仁司先生の講義に衝撃を受けたころだ。あの頃に戻って、ウォーラステイン教授の講義を受けているつもりで、この本を読んでみた。

「驚くべきは、いかにプロレタリア化が進行したかではなくて、いかにそれが進行しなかった、ということなのだ」

資本蓄積を至上命題とするシステムにおいて、万物は市場化され商品化される運命にある。しかし労働の商品化は、400年にわたるシステムの歴史において、実際には遅々として進まなかったと、この歴史学者はいう。

資本は賃労働から搾取をする、というマルクス主義の通念に反して、むしろシステムはその外部に「周縁」を見出し、維持し、利用することで莫大な利益を得た来たのだ。この視点に、当時の僕はびっくりさせられた。

史的システムとしての資本主義に対しては、二つの反システム運動が生み出される。階級を足場とする労働・社会主義運動と、民族を足場とするナショナリズムだ。しかし、二つの運動とも、国家権力の掌握という目的を達成すると、むしろシステムを強化する側に回ることになる。

「なぜなら、資本主義的『世界経済』のなかに組み込まれている限りは、いかなる国であれ、資本蓄積の進行という至上命題がシステム全体を通じて作用してきたからである」

まだ、まだ世界が東西の二つに別れていた時代に、社会主義運動とそれによる国家が、世界システムの内的なプロセスが生み出す「排泄物」であり、システムの矛盾や束縛を免れないと断じる慧眼は見事だと思う。僕たちに世界経済がグローバリズムとして実感できるようになるのは、冷戦が終結後しばらくたってからである。

「史的システムとしての資本主義は20世紀初頭から構造的危機に陥っており、次の世紀のどこかの時点で別の史的システムに取って代わられることになろう。しかし、あとにくるものが何であるのかは、予見がきわめて困難である」

なるほど、さっと読む限り、この本の道具立てだけでは、21世紀におけるシステムの終焉とその後を予見するのは難しいような気もする。

ところで、さして英語を読めもしない僕が、かつてこの本の原著を手に入れたのは、この本には読みこむべき「真理」が書かれている、という予感を抱いたからだろう。その直観を信じて、もう一度この本の原文に挑戦してみたい気がしている。

人との出会いが一期一会のものであるように、書物や理論との出会いもまた限られた貴重なものであるだろうから。