大井川通信

大井川あたりの事ども

万延元年のフットパス

朝思い立って、久しぶりに大井川歩きに出かける。

まず隣の地区の公園へ。ここでは次男に自転車の練習をさせた思い出がある。自治会の役員の時には、グランドゴルフの練習もしたっけ。しばらく来ない間にすっかり他人行儀の表情をした場所になっている。

僕には、やはり50年前父親が自転車の乗り方を教えてくれた故郷の中学校のグラウンドが圧倒的にホームだ。踏みしめた一歩一歩の歩数がちがう。この土地で今から追いつくことはできないし、仮に追いついても、生まれ落ちた土地の原体験を書き換えることはできないだろう。

昔でいえば隣村の平井地区にしぼって歩こうと方針を決める。遠征するには足が重い。まずは、ここの小字名にもなった笠仏(かさぼとけ)にお参りする。仏様を各面に浮彫にした六角柱やら笠やらの石材が道端に無造作に寄せてあるだけの場所だ。由来の聞き取りをすませ、簡単な絵コンテをつくり、妻には絵を描いてもらったのに、一年以上ほったらかしにしていることのお詫びをいれる。

次には、村の氏神様である的原宮を参詣する。本殿の脇には、植林に囲まれて石のホコラが六つ並んでいる。近代に入り神社統合のあおりを受ける前には、村のそれぞれの場所で丁寧に祭られていたホコラたちだ。

一番奥の「八幡宮」には万延元年(1860)の文字がくっきりと刻まれている。万延は二年までしかないから貴重だし、この年号は大江健三郎の代表作の表題で有名だ。いつものいたずら心がわいて、このホコラの前で、小説の一節を読み上げたりしても面白いかもしれないと思いつく。(ちなみに、フットパスとは、イギリス発祥の歩くことを楽しむ道のこと。大井川歩きも、流行のフットパスの実践といえなくもない)

高架下の小さなレンガアーチをくぐって、向かいの里山のふもとにある建興院を訪ねる。この春玉乃井のワークショップで宮大工の基礎を習った棟梁の松島さんが、若いころこの寺の工事を手掛けたと教えてもらっていた。改めて本堂を見ると、身びいきからか、実に堂々として全体のプロポーションがよく見える。

線路近くの電線に薄青いイソヒヨドリがとまっている。住宅街ではカササギ、寺院ではシジュウカラと出会えたが、今朝の鳥はちょっと収穫不足か。

駅前では、市民農園で採れた野菜の市場があって、お店の若い人と言葉を交わす。地域で子供たちの療育指導をしている在野の教育者だった。野菜をぶら下げて帰る。意外に長く、二時間半歩いた。