大井川通信

大井川あたりの事ども

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 フレデリック・ワイズマン監督 2017

ひょんなことで、図書館に関する勉強を始めている。テキストや雑誌に目を通し、図書館をめぐる最新動向をにわか勉強した。図書館ではないけれども、社会教育施設や博物館での仕事経験がある。学生時代には、公民館での活動に参加していた。

こうした予備知識をもって、この作品を観たので、内容的な新鮮さをさほど感じることができなかった。そのかわり、さまざまに連想したり、記憶を掘り返すことができた。

若いころ、地元の公民館では、講座でいろいろな人の話を聞いた。歴史家の網野善彦の話も聞けたし、評論家の上野昂志の魯迅の読書会なんてものにも参加した。市民的、反権力的な催しも盛んで、今でもたまに名前を見る小倉利丸とかも来ていた。

地元の公共施設では、亡くなった母親が毎週、ダンスや体操に通い、ずいぶん充実した生活を楽しんでいたようだ。

今の土地に越してきてからも、小さな公民館で上野千鶴子の話を聞いたり、佐藤泰正先生の文学の講座を受講したりした。隣保館で、人権問題を話し合ったりもした。市民センターで演劇ワークショップに参加して、市民劇場で上演した。今も、近所の博物館の音楽会やトークイベントをのぞいたり、公共の文学サロンで、読書会に参加している。

90もの分館を持つニューヨーク公共図書館が行っている様々な事業は、日本だったら、公民館をはじめとする様々な公共施設(図書館を含む)が分散して担っているのだろうと思った。日本人はアメリカ人ほど饒舌でも理屈好きでも体系的でもないけれども、やっていることは同じようなものだ。

映画の中で、分館の建て替えにかかわる建築家が、図書館は人だ、と市民に向かってはなす場面がある。なるほど、この映画では、有名無名様々な人の姿があふれている。

ワイズマンのカメラは、ドーキンスコステロ等の有名講師や、館長たち図書館職員の顔だけでなく、講演の聴衆や図書館利用者の顔を一人一人たんねんに映していく。すると、不思議なことに、話さないことで言葉によって限定されない匿名の人間の顔の方に、むしろひきつけられるのだ。